ことり舎さんを訪問した

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久しぶりに滝の妙見さんのある地域に車を走らせた。
国道480号は晩秋の紅葉の中にあった。黄色に色づいた葉が光を弾く。四郷小学校が眼下に見えるところに滝への道を示す表示があり、トンネルの入口にも滝の表示が立っていた。
「あれ、こんなところから滝に行くんだったかな」
そう思って2つのトンネルを通過し、次の降り場で旧道に降りた。
結局、滝への道に向けてかなりの距離を戻ることになった。
長いこと滝に登っていなかったので、どの道を行くのか記憶に混乱が生じていた。四郷の滝へは、小学校のところから東の山に入っていくのだった。
時間が迫っていた。
妙見さんから車で1、2分のところの急なカーブに一軒の民家があり、ちょうど串柿の作業をしている農家があった。
ぼくは、窓を開けた。
「この辺にことり舎さんは、ありませんか」
声をかけると向かいの家だという答えが返ってきた。車1台が入るコンクリート鋪装の坂道の上に家があった。
小学校低学年の女の子が、表で遊んでいた。
「ことり舎さんですか」
「そうです。あ、政治家さんですか」
「そうです」
串柿まつりで、石けんを買わせていただいて、Blogでやり取りが始まり会う約束をしていた。ことり舎のiさんのお宅を訪問すると、出迎えてくれたのは、小さくて可愛く優しい顔立ちの、聡明そうな、瞳の大きな女の子だった。
「政治家さん」と呼ばれたのは初めてでおかしかった。
女の子の案内で坂道を登ると、旦那さんが出迎えてくださった。
開け放たれた家の中に奥さんらしき人が立っているのが見えた。
家の前には、山の景色が開けている。東と西の山が迫っておらず、広い谷がずっと先まで見渡せる景色は絶景だった。道の向かい側に1本、葉が黄色く色づいた背の高い木が立っており、この景色をより一層引き立てていた。
谷の下から吹き上がる乾いた風が串柿の乾燥に良い効果をもたらすに違いない。
吊されている串柿は、日の光によって透明感のある橙色になり光って見える。
毎日、こういう景色を見て暮らせるのは、それだけで幸せだと思える。
テレビも新聞も取っていないでインターネットで情報を得ている。旦那さんはそう話した。
神戸のある大学教授と同じだった。この教授もテレビを見ない。
日本のマスコミは、国民に対して、あっちに行け、こっちに行けと指図している。本当のマスコミの仕事は、道に迷っている国民に対し地図を与えることであって、指図することではない。
ぼくは、大学教授のこの話を紹介した。
自分で情報を調べ、自分の頭で物事を考えて、判断していくという姿勢は、ものすごく大事だろう。劇場型の選挙が当たり前になり、マスコミの描き方によって特定の政治家に異様な人気が出ると、何もかもこの政治家の都合のいいように報道がなされて行き、真実が隠されていく。
そう言うことが多すぎるし、一旦一定の判断をもって報道を行ったら、新聞もテレビも自らの誤りを認めるような訂正は行わない。
イラク戦争の報道、郵政民営化──どれも同じだった。
訪問したもう一つの理由は、7月にiMacを買い使い始めているけれど教えてもらえたら、というリクエストにお答えすることだった。
iMacが古い藁葺きの、高床式の天井の高い家にきれいに置かれていた。Simple is best。洗練された美しさがiMacにはある。
このMacを使用しているのは、おもに奥さんらしい。奥さんは細身の芯の強そうな女性だった。夫婦お二人と話していると時間の経つのが早かった。物事をしっかり見つめるまなざしの確かさのようなものを感じた。
データ管理のソフトの使い勝手の悪さに奥さんは悪戦苦闘していたし、Macの基本的な使い方についても、色々な質問が出てきた。
ぼくは、Macについてのいくつかの約束をした。
ぼくを出迎えてくれた女の子は、小学校2年生だった。
京都の選挙で水族館を造るという争点が浮上し、推進側の市長候補が当選したらしい。選挙後しばらくしてiさんたち家族が京都に行くと水族館の建設が始まっていた。このことをめぐって、家族で話をしていたら、この子が政治家になりたいと言い始めたのだという。
「あ、政治家さん」と言った意味はここにあったのだ。
Macの説明をしながら、女の子の質問に答える形になった。ぼくに質問をし、メモを取る姿が真剣な思いをにじませていた。
「政治家になるには大学は出なければなりませんか」
こんな質問も飛び出した。
政治家になるんだったら、まず市町村の議員になった方がいいこと、選挙に出て当選すること、4年に一度選挙があることなどの説明をおこなった。
いきなり国会議員になることを否定はしない。しかし、階層的に編制されている国、都道府県、市町村の政治の現実を把握し、それぞれの政治の世界には、無限の可能性と無限の課題、対立、努力があることを知って欲しいという気持ちを込めて答えた。
「地方自治体は民主主義の学校」だという言葉がある。国の施策の多くは市町村の具体的な事務を通じて実現する。国は都道府県を通じて、市町村の事務をコントロールしている。国会の答弁は、市町村の事務にも大きな影響を与えるが、この経路の中でかなり歪められてしまうのも現実だ。福祉や医療、教育、建設の現場と国の政治を豊かに認識してこそ、政治の本当の姿が見えるというのが、ぼくの考え方だ。その意味では、政治の最先端の一つが現場である市町村だということになる。
もちろん、国が立法権をもち、税の再配分で国会で決まったことを徹底していく仕組みなので、国の政治の変革なしに日本の政治の現実は変わらない。そういう意味で、国は最大の権限をもっているといえる。
「東芝さん、町議会議員だけではなしにもっと上をめざしたら」
こんな意見をよく聞く。
しかし、市町村が下で都道府県や国が上だという感覚はない。自民党の国会議員が政治の本当の姿を知っているわけではない。むしろ知らないことの方が多い。
「事件は会議室で起こっているのではない。現場で起こっているんだ」という織田裕二の名せりふは、政治の世界でも同じだろう。
この国のかなりおかしな現実に飲み込まれることなしに、グローバルにものを考えて、自分のできることを足元から実行する、そういう道に進んでいったら人生は充実するのではないだろうか。そう思いながら女の子の質問に答えていた。
この子たちの未来が、少しでもいいものでありますように。
おいとまをするときに奥さんから石けんをお土産にいただき、友人に頼まれていた無香料石けんを1つ買った。
「顔を洗っても突っ張りませんね。なかなかいいです」
「そうでしょう」
奥さんは、柔らかくそう答えた。
今日もお風呂でことり舎の石けんのお世話になる予定だ。
この日は、さまざまな話をして楽しい時間を過ごさせてもらった。
車が東を向いていたので、久しぶりに短野に降りようと考えた。車で24号に下ってくるまでにだいぶ時間がかかった。
その間に日が暮れてライトの点灯が必要になった。
なんだかわが家の娘にも会いたくなった。


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Posted by 東芝 弘明