50年、おめでとうございます。

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東野圭吾の「変身」という小説を読んでいる。図書館から借りてきた文庫本だ。昨日書いた文章は、少し子の小説の文体に引きずられている。不思議なものだ。
自分の文章でないような感じが少しする。
今回、はじめて東野圭吾の本を読んだ。文章のテンポが速い。森村誠一のような硬質感はないが、浅田次郎のような柔らかさはない。少し硬い感じのする文章なのは、この「変身」という小説の語り口がそういうものだからかも知れない。
今日は、夕方から共産党の班の忘年会を開いた。50年の党歴をもった3人の方々のお礼を兼ねた忘年会だった。50年ということは、ぼくが生まれた年に日本共産党に入ったということだ。
1960年。高度経済成長の入口に立っていた年、安保闘争が火を吹きはじめた年だ。この50年間には、経済成長の上り坂と下り坂が富士山のように形をなして刻まれている。
日本共産党員として生きてきた歴史には、感慨深いものがあるだろう。自分で出世することには背を向け、自分の良心を大切にして生きてきた時代をなんだかいとおしく感じる。
どう生きるか。
若い時代、多くの人はこの問いを自分に立てて、道を選んだ人がいるだろう。でもこの問いを50年間、自分の前に置いて、生きる姿勢を貫いた人は、そんなに多くないかも知れない。
ひとすじの道。
この道の後には、多くの人が続いている。
小林多喜二が、命をかけて切り拓いた道のその先に、ぼくの人生もある。
50年間、日本共産党員として歩いてきた人の後ろをぼくたちも30年間歩いてきた。
亡くなった宮本顕治さんは、かつて「日本共産党員は大義に生きる」と語ったことがあった。
この言葉を胸に生きてきた。
このひとすじの道は、自分の良心に恥じない道だった。
お金儲けとは無縁の道、出世とは無縁の道だったけれど、この道は、まわりの人々の苦しみを取り除くために生きてきた道、まわりの人々の幸せとつながる道だった。
「社会一般のために立ち働く」──マルクスは17歳の時にそう書いた。
ぼくは、今もそう生きたいと思っている。
小林多喜二は、自分の幸福を自由に考えることはできなかった。そういう厳しい時代に、この人はあえて日本共産党員になった。そして、日本共産党員になることによって、時代の真実を描こうとした。小林多喜二のまわりに苦難は嵐のように存在した。しかし、そこには、時代の真実を描く作家としての深い喜びがあった。──ぼくはそう信じている。
今の時代は、多喜二が生きた時代とは違う。日本共産党員として生きることが、自分の幸福と社会の幸福を重ねることのできる時代となった。この道は、時代の進展とともに大きくひらかれてきた。
それは歴史の必然だった。
しかし、この道には苦難がなくなったわけではない。経済的な大きな力が社会全体を支配している中で、大きな壁が立ちはだかってくる。それは避けることのできないものだ。
日本共産党員として生きる。
ここには、人間としての良心を貫く人の、潔さや勇気や苦労がある。それと深く結びついた喜びがある。
日本共産党員としての50年の重みに拍手を送りたい。


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Posted by 東芝 弘明