学校給食の民間委託の問題点

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昨日から1日が経って、少し穏やかな気持ちになってきた。
20年間議員を行ってきて、怒りが数日間持続したことが過去に何回かあったが、今回もこのケースの一つだった。
次第に気持ちも落ち着いてくるだろう。
ぼくの性格でいえば、怒りが長続きしないということだ。時間が経ったら忘れていく。
執念深くはない。
怒りが2日とか3日とか持続する経験は、あんまりないということだ。
文章を書くと感情の整理にもなる。Blogは考え方を整理する上で大きな力になっている。
町長の議会答弁は、ぼくが思っている以上に軽いということもきちんと考えておく必要がある。
これも勉強になった。
失敗をする中で学ぶということがある。
今回の事を教訓にして、より一層精進しなければならない。
今日になって考えることがある。信頼してくれている先生方には非常に申し訳ない結果になったということだ。
学校は、栄養士、調理員、図書室の司書、養護教員、事務職員、、用務員、教員などによって構成されている職場であり、子どもたちはこういう職場の中で社会性と人間性を培っていく。
給食は学校生活の中で、食育の中心を担い子どもたちの食事のうち33%を担う。そこに食育の活動が加われば、子どもたちの食生活を給食を通じてかえていく大きな力をもつ。
食育を考えるときに、給食に問われるのは質の問題だろう。豊かな日本食の文化を、ほんもののの食文化を学校給食を通じて実現していく、それだけの責任と役割が学校給食にある。
かつらぎ町の議論が、このような観点を踏まえて組織されたのかどうか。と問われれば、かなり危ういといわなければならない。
豊かな給食の条件の一つは、栄養士を軸にした一体的な管理だろう。
しかし、民設民営の学校給食の場合、調理の責任と栄養士の責任が切り離され、栄養士が調理員を直接指導できなくなる。
民設民営の調理員を栄養士が指導したらいいではないか、と思う方もいるだろう。しかし、これを認めたら日本は、悲惨な働き方を受け入れることになる。法律は、雇用関係にない委託業者の労働者を直接指導することを禁止している。
かつてCANONが膨大な労働者を業務委託で受け入れていたことがある。業務委託の場合、発注した企業であるCANONは、当然委託業者を労働者として扱わない。業務を委託するのであって、雇用するわけではないからだ。したがって、雇用保険も社会保険料の負担もしなくていいし、委託費の中では、こういう問題を考慮する必要もなくなる。
業務委託は、請負とよばれる。請負を発注する会社は、安ければ安いほどいいということだ。
請負会社で働く労働者の労働条件は、請負会社の側の責任であって、請負を発注した会社には、全く関係のない話になる。
以前、パソコンが大量に会社に導入された時期に1円入札という話があった。もちろん、1円入札を行った会社は、搬入からシステムの構築などで大量の労働者を必要としたし、給料も正当に支払った。1円で発注した側は、請け負った側の問題を全く考慮しないということだ。
摘発されたCANONは、業務委託した人々を直接指導していた。もちろん、裁かれ是正させられた。業務委託で入ってきている労働者を直接指導すると偽装請負に問われることになる。請負を活用して直接指導すると、たいていは派遣労働以上の極めて安いコストで労働者を働かせることになる。偽装請負とは、請負を装って労働者を雇うということだ。実態は派遣労働なのに請負という形をとってコストの削減を図る──ここに偽装請負の狙いがある。
学校給食の民間委託は、業者の側からすれば請負に当たる。かつらぎ町が業務を民間に発注し、民間が業務を請け負うという関係だ。発注する側は、安ければ安い方がいいことになる。請け負った業者の中でどのような雇用形態が生まれるのか、かつらぎ町の側には関係のない話になる。
学校給食の場合、栄養士が学校給食を管理することが義務づけられている。この役割を果たさなければならない栄養士が、法律どおり自由に学校給食を管理できなくなる。──これが学校給食の民間委託だ。
もう一つ問題になるのが、学校給食の衛生管理基準だ。
学校給食法は、衛生管理基準を法律の中で明確に規定し、この管理基準は、文部科学省が決定している。業務委託は、本来、企業の側の自由裁量権が大いにはたらくものだが、学校給食の業務委託は、この衛生管理基準によってがんじがらめにならざるを得ない。ただし、直営の場合は衛生管理基準だけでいいが、民間委託の場合、衛生管理基準を守らせようと思えば、委託契約書とこの委託契約書の具体化である仕様書を作成し、これを通じて衛生管理基準を守らせる必要が生じる。
この考え方を徹底し、業者に事細かく仕様書によって守らせていくようになると、民間委託の業者を完全にコントロールすることになる。こんなことをさせて、はたして自由な経済活動ができるのかどうか。仕様書を充実させればさせるほど、業者の側の自主的な活動を拘束し、自由な経済活動を侵すことになってくる。
偽装請負かどうかの指標の一つは、業者が実態として、単なる労働者の派遣になっていないかどうかにある。仕様書で業者の活動を事細かくしばっていき、食材の調達まで自治体が行っていくと、民間委託は限りなく、単なる労働者の派遣に近づいていく。
この点でいえば、建物が公設で調理の民間委託の方が建物が民間で調理も民間というシステムよりも偽装請負に近くなっていく。
そもそも、学校給食の民設民営ということは、自由な経済活動の保証という点にそぐわない。企業にとって、儲けをあげることは一番大切な存立の条件だろう。経済活動を通じて儲けをあげない企業というのは、企業として成り立たない。学校給食の民設民営というのは、一体どういう形で儲けをあげることができるというのだろうか。
食材の調達を町が管理する場合、民設民営の学校給食はどう考えても、儲けを生みださない。儲けがあるとすれば、それは委託費以外にない。商品を生産し売るわけではないからだ。
学校給食費は、食材料費については保護者負担となる。業者が受け取るのは、水道光熱費、施設管理費、人件費、施設建設の資本費(減価償却費)になる。このなかで伸びたり縮んだりできるのは、人件費以外にない。
調理の労働の場合、食材を購入し料理を作ることによって、はじめて剰余価値が生まれ、購入した食材料費よりも高い料理を生産できる。それを販売することによって、飲食店は儲けをあげている。
しかし、食材料費を自治体が管理する学校給食は、労働の生産物である料理を販売できないので、利潤が生まれようがない。
儲けは、請け負った委託料の中に織り込まれないと出てこない。請負額が小さくなると、必然的にワーキングプア状態が生まれることになる。
建設業の場合、国の建設単価という設定があり、これが基本になって設計金額が計算される。この世界には、十分利潤が生まれる金額設定がなされている。だからこそ、設計金額の90%や80%で請け負っても会社が成り立っているのだ。
元請けと下請けの関係のルールが確立していないので、元請けが強く下請けは苦しいという関係もあり、そこからも儲けが生まれている。
建設工事の場合、材料の確保については企業の自由に任されている。自治体が設計の中に書き込めるのは、材質の指定である。設計で指定されたものを安く仕入れれば、そこからも儲けが出てくる仕組みになっている。
学校給食の民設民営がほとんど成り立たないのは、こういう関係が横たわっているからだ。だからこそ、和歌山県下で2つの例しかないのだ。
民設民営についての認識が町当局になく、民設民営でもいいではないかという非常に安易な考え方で議論が進んでいった。ぼくは、審議会の中でも色々な角度から民設民営の問題点を指摘したが、言葉だけでは問題点を伝えきることはできなかった。
このような歪みをもった民設民営の学校給食でスタートを切るのは不本意だった。しかし、それでもやむを得ないという態度で臨み、町長の言葉を信じて、民設民営から公設のセンターへ、その後の議論で公設公営へ、こういう訴えを行ってきた。
少なくともこういう関係を理解して、民設民営がやむを得ないといっているのならまだ話は分かる。しかし町当局自身が、学校給食の民設民営の抱えざるをえない矛盾を理解しないまま、これでいいではないかというのが悲しい。抱え込んでしまう矛盾を知っているのでれば、当局の中からセンターへの移行という考え方が出てくるはずだ。
現在の学校給食法があるかぎり、学校給食の民間委託は根本的な矛盾を抱え込まざるを得ない。
劣悪な労働条件が民間委託で生まれる場合、その原因は自治体の請負金額にある。すべては請負金額にかかっている。
学校給食を通じて、ワーキングプアを作り出すことは許されない。請負であっても、労働者の賃金がきちんと保障される請負金額で契約することが求められている。民間委託は安上がりという発想では、この問題は解決しない。
公契約条例の制定を求めていくべきだと考えている。時給1000円を保障し、それを請負契約の金額に反映させ、契約の中でこの金額を守るよう求め、これを守らない場合は、契約を更新しないなどというルールをつくる必要がある。このルールをつくれば、請負のもとで働く人々の賃金をそれなりに保障できると考える。こういう分野でも努力をしていきたい。


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Posted by 東芝 弘明