古いのに新しい

雑感

すごく激しい雨が降った。
春に近づいて来ると、今日のようにものすごく天候が荒れる日がある。この前は風がものすごく強かったが、今日は雨が激しかった。
太陽の光が、地球に与えている影響には激しいものがある。人間はこの自然の変化の中で生きているに過ぎない。地球は人間のために存在しているのではなく、人間の意志とは関係なく動いている。
今日のような日があると、そういうことを感じる。

地球で一番多い生物は微生物だろう。人類など本の一握りの存在にすぎない。全ての生物は、歴史的に形成されたものであり、全ての生物はみんな進化の頂点にある。人間が地球の中で生物の頂点にあるように考えている人も多いだろうが、そんなに事は単純ではない。
地球は人間のために存在しているのではない。

脳が発達し、言語を獲得して、群れはやがて社会を形成した。人間の意識は、社会が形成される中で、個を発見し、自分や社会のことをある程度客観的に見えるようになった。人間の意識がここまで発展するのにはものすごい年月がかかっている。
個人の尊重は、日本国憲法において憲法第13条に規定されるようになり、この憲法13条の個人の尊重が日本国憲法の最も中心的な規定であることが認識されるようになった。
国家と個人の関係は、日本の歴史の中で日本国憲法が成立したことによって初めて逆転した。1947年までの日本は、個人は国家のために尽くせというものだった。
この世に生を受けた人間が、「自分の幸福を自由に追求していいんですよ」という時代が始まってまだ71年しか経っていない。
この憲法が確立しても、なかなか個人の尊重が世の中の中心には座らなかった。
安保法制・戦争法反対の運動の中で、個人の尊重こそが日本国憲法の最も大切な規定であり、個人は、自分の主体的な考え方をもって、自由に生き、自由に運動することができる存在であることが改めて強調された。
日本国憲法というものは、このようにして、国民の運動の中で、多くの人の意識として再認識されてきた。
1947年のときに制定された日本国憲法は、それ以後の71年間の国民の運動の中で確かめられ生かされてきた。

古いのに新しい。
個の発見は、文字に記された歴史でいえば、ローマ時代に遡るのかも知れない。しかし、あの時代は根底に奴隷を据えていた。全ての人間の個人としての尊厳が最も大切なのだという考え方は、まだまだ新しい。おそらく進歩的運動の先頭に立ってきた日本共産党の党員の運動の中でさえ新しい響きをもってる。
「党の上に個人を置いてはならない」という規定が、日本共産党の規約に書かれていた時代があった。この規定は、今はもうない。「党の上に個人を置いてはならない」というのは、自分の利益や自分の地位や名誉、共産党内の権力を党の上に置くなというものだったと思うが、自分のささやかな人間としての願いや思いでさえも、党を優先して犠牲にすべきという考え方を含んでいた。

献身的に、自己犠牲的に活動することが、日本共産党員の姿であるかのように描かれることもあった。
ベトナムの小説の中に『不敗の村』という作品があった。塩が人間が生きるという上で極めて重要なものであり、塩を補給する重要性が書かれている下りがあったが、そのなかで共産党員が、自分の塩を他人に与えて、自分は灰をなめていたという話が描かれていた。これを知った主人公は、深く感動して党に近づいて来るという話だった。これを読んだ時にぼくもものすごく感動した。自分のまわりの人のために自分を犠牲にして献身的にたたかう姿が心を打った。
献身性と不屈性が強調されたこともあった。自己犠牲という言葉は美しかった。

日本共産党員は、まわりの人々のために献身的に、自己犠牲的に立ち働いて生きるということだったが、同じ時代、企業戦士と呼ばれた人々は、企業のために自己犠牲的精神を発揮して生きていた人も多かった。それより少し前の戦前は、公(御国)のために自己犠牲的精神を発揮して、国に命を捧げることを美徳としていた。
まわりの人々、企業、御国という対象の違いは、かなり大きな違いだが、自分を犠牲にする精神、何かに奉仕することによって、自分を高めようとする精神には共通性があるだろう。日本人は、自分を犠牲にして生きるという生き方を求められてきた時代があったということだ。

これに対し、個人の幸福の追求が最大限に保障されるのが日本国憲法のもっとも基本的な精神であり、個々人は自由に自分の意志をもって新しい関係を結んで、力を合わせるべきだという日本国憲法が示している考え方は、個人の幸福の追求こそが社会発展の基礎の基礎だというものであり、個人の幸福の追求と社会の発展は矛盾しないばかりか、個人の幸福の追求が保障されてこそ、社会の発展があるというものだ。
この考え方は、すごく新しい。
自分の幸福の追求が社会の幸福の追求につながるんだよという考え方であり、同時に自分自身の頭で物事を考え、語り合い、学びあって一緒に生きて行こうという考え方を持っている。民主主義とは何か、組織運営の基本をどこに置くべきなのか、ということをも、この幸福追求権は教えていると思われる。

日本共産党の組織活動の根本にも、この個人の幸福追求権が座るべきだと思っている。今の時代は、自分の自己実現と社会の発展とを同時に追求できる時代でもある。日本社会は、行きつ戻りつしつつあるように見えて、確実に進歩している。安保法制反対に立ち上がった人々の根底に個人の尊重があったことに時代の進歩、発展を感じる。
個人の尊重を土台にして、民主主義をさらに発展させる。時代の運動は、ここに焦点が当たりつつある。立場の違う人々、思想的な違いを前提にして力を合わせること、そのためには相手をリスペクトすべきなんだという考え方は、統一戦線を発展させる基本になっているが、この考え方の根底にも個人の尊重がある。憲法13条の精神は、野党共闘の中でも、もっとも大切にすべき中心的な命題になっている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明