娘の入学式

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娘の入学式があった。
今日から笠田中学校の1年生になった。
入学式の来賓の話も、先生の話も当たり障りのない話だった。
雨が降ったので、少し肌寒かった。
中学校に入るとただちに受験の話が出てくる。少子化すればするほど、高校が狭き門になっているのは不思議なことだ。しかし、これが現実というものだろう。
笠田高校の普通科が2クラスになったという。ぼくたちの時代は、商業科が3クラスあり、普通科が4クラスあった。しかも1クラスの生徒数は、45人だったと思うので、普通科180人、一学年315人が定員だったはずだ。
それが、今は普通科で定員80人となっている。ちょうど100人少なくなっている。
「競争の教育」
という本を書いた大学教授がいた。この人の講演は印象的だった。佐野住民会館での講演だった。
教授の名前は久冨善之さん。本は労働旬報社だった。Amazonではまだ古本が手に入る。
以前にも書いたが、都道府県教育委員会は、中学生の全入を認めないで、定員を生徒数の95%に設定するようだ。この5%少ない設定によって、競争が過酷に組織される。
学区制の撤廃によって、ぼくたちの時代よりも遙かに高い密度と濃度をもって、高校受験が組織されている。
みんなで笠田高校へ。こういう時代があったのに、
「地元の子どもが笠田高校に行けない時代になった」
という話がある。
入学式が終わった後、校長先生が、今年の高校入試は大変厳しかったと語った。
すべての子どもに確かな学力をということは、枕詞のようにいわれているが、確かな学力を身につけるような努力以上に、ふるいわけ、選別を行うための教育の仕組みが重くのしかかっている。
「子どもを塾に行かせるかどうか」
これが親の心配事、関心事、不安材料になっている。
「今を生きる」「未来のために生きる」
この2つのことをめざして生きてほしいと思うが、受験圧力は、今を生きるよりも、今を犠牲にしてでも未来のために生きることを求めていく。
しかも、受験圧力が高まれば高まるほど、本物の学力が形骸化し、子ども全体の学力が低下している現実がある。
いつになったら、競争の教育の見直しや学歴社会の根本的な見直しが始まるのだろうか。
いつになったら、子どもたちが学ぶ喜びを体感し、学校が楽しい存在になるのだろうか。
「そんなものは理想です」
そう言わざるをえない現実があるかぎり、日本の教育の発展はないだろうなあと思う。
夕方、5時から氏岡議員と2人で、「次世代の会」の方々にインタビューを行った。このインタビューは、「議会だより かつらぎ」の最終ページに掲載するもので、写真撮影も含め1時間40分程度のインタビューとなった。
明日、この記事をまとめる必要がある。
選挙の葉書も作成しなければならないし、育成会の会議のメモも作らなければならない。
することが多い。
日曜版を配達に行ったら、カブの後輪がパンクした。これで、タイヤとチューブがお釈迦になった。
成仏してくだされ、ということだった。


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Posted by 東芝 弘明