やすんでみなさいよ

雑感

リビングには、エアコンとファンヒーターの両方のスイッチが入っていて、部屋は十分に暖まっていた。ぼくは、戸を開けてリビングに入るなり、食卓の上に置かれていた赤旗の上に無造作にiPhoneを投げるように置いた。
映画の一シーンのような情景だ
そんな言葉が頭の中に浮かんできた。
日常、自分の動きを客観視して、動作を克明に描写するような余裕を失っている。
毎日の自分の動きを描写していくと、おそらく多くの発見に満ちあふれた生活をおくることができるだろう。しかし、忙しい日々は、そういう感覚を失わせて、目の前に咲いた綺麗な花さえ見ないような日常に埋没していく。

人々の心の変化や感情の起伏を、緩やかな心で眺めていけば、目の前のダイナミックな変化を知ることができるのだろうけれど、そういう変化にさえ気がつかないで、日々を過ごしている。水が高いところから低いところに流れるように、そう、シャンパンタワーのように自分の心を解放して、一番下で人々の思いを受けとめて生きて行けば、変化にも敏感になるのだろうけれど、自分の方から言いたいことが一杯あると、知らず知らずの内にシャンパンを注ぐ方になり、しかも注いだシャンパンがほとんどこぼれ落ちていることにも気がつかない。

余裕。
余裕がなければ変化に気がつかない。
ときどき、全ての身構えを解放して、無防備になって周りの変化を受け入れ、それを楽しむような精神的な有り様に実を置かないと、自分がとてつもなく傲慢になるような気がする。鎧兜で身を包んで、相手に針を突き刺すような生き方をするのではなく、何でもかんでも受け入れられるよう海か湖のように静かにするような時間を持ちたい。

休んでみなさいよ。
ということなのかもしれない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明