ブラインドタッチ

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ブラインドタッチができるだろうか。
ぼくはへんな癖が付いてしまって、ブラインドタッチができない。まずホームポジションに手を置くことができない。MacのApp Storeでタイピストというソフトをダウンロードした。
fff jjjというような入力をひたすら練習する。この簡単な練習さえうまくいかない。押し間違えると小さな音が鳴る。イライラする。肩がこる。イライラがつのってくると座っていることさえしんどくなる。
変な癖が直らないかぎり、画面を見て手元を見ないキー入力はできないだろう。
27歳の時に初めてキーボードに向かってキーを叩きはじめた。何度やってもうまく入力できないので、「パソコンは使えないかも」と不安になった。
「高いお金を出したのに」
そんなことも考えた。
キーボードを使えるようになることが、パソコンの最大のハードルであることは間違いない。そう思う。キー入力をクリアすれば、あとはソフトの使い方に慣れるだけだ。
ソフトといっても基本は、ワープロと表計算、メール、ブラウザだろう。新聞を作りたいのであれば、高級なソフトがいるかも知れない。ぼくは、InDesignを使っている。Windowsの世界には、なかなか使い勝手には癖があるけれど、「パーソナル編集長」というソフトがある。このソフトは、Windowsにあって、Macにはない。
InDesignは、非常に賢いソフトで、日本語の編集にも長けている。高いだけのことはある。こっちはWindowsにもある。プロ用のソフトだ。
Photoshopやイラストレーターを使うためには、絵心が必要になる。絵心がない人には使いこなせない。したがって、ぼくなども使いこなせているとは言い難い。
友人に1人、ブラインドタッチをこなす人がある。横で見ていると一心不乱に画面を見て、かなり速いスピードで入力する。神業のように見える。原稿を見ながらどんどん打てるのをみているとうらやましくなる。
一般質問の原稿を書いたり、文章を書くときに手書きで書く気にはならない。訂正を繰り返して、何が訂正した文章なのかが分からなくなると、イライラがつのってくる。ただ、ものを考えるときには、紙と万年筆を握りたい。白い紙にああでもない、こうでもないと書き込んでいくと、物事の認識が立体的になってくる。
物事を考えるには、紙と筆記用具が必要になる。これなしには深くものを考えられない。本を読んでいるとひらめくことがある。その時には、本に書き込んだり紙と万年筆を用意したりする。紙に手書きで書き込んでいくと、発想が発想をよんでくるので、文字を丸で囲んだり、銭で引っ張ってそのか所に考え方を書き込んだりして、しだいにパッチワークのように文字が重なっていく。この自由度はパソコンの画面にはない。ただし、後で読むと何を書いているのか分からない。それも面白い。新しい発想は、新しい情報によって触発される。
手書きとキーボード。この深い関係を楽しく描けたら、パソコンを使いたいと思う人がもっと増えるかも知れない。ぼくにとって、キーボードは、もう一つの万年筆だ。この万年筆は、モンブランでもパイロットでも、プラチナでもない。
かじりかけのりんごのマークのあるAppleという会社の万年筆だ。
この万年筆には電気が必要だ。
ブラインドタッチができたら、考えることにさらに集中しながらキーボードを叩くことができる。ここまで自由に文章を打てるようになったら、この万年筆は、自分の脳みそを画面にはき出せるだけの力をもつ。そうなれたら、それだけで幸せだろう。
間違いない。


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Posted by 東芝 弘明