9条の会へのおさそい

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「しんぶん赤旗」の集金に行きながら「9条の会」へのお誘いをおこなった。
9条という話をすると「戦争反対の会やね」という答えが返ってくる。
安倍さんが任期中に憲法を変えたいとインタビューに答えたという話や、憲法を変えるかどうかは、最終的には国民投票でおこなわれるという話をしてまわった。
こういう対話をしながら地域をまわることが大事なのだと思う。
日本国憲法が変えられようとしているという話をすると、驚きをもって受けとめる人もいる。
まだまだ、憲法改正についての危機感はない。──そう感じた。
「戦争をする国というのは、国民の中に、地域の中に戦争で人を殺した人を抱え込むことになる」
こんな話もしてまわった。

「アメリカ合衆国の、特に男の文化のなかで、人を殺すことになるかもしれない、というのは当たり前の『常識』です。子供はどうやって大人になるか。子供たちは周りの大人を見て、大人の条件は何かを判断する。アメリカだけでなく、日本以外の他の大国もそうだと思いますが、特に男が大人になるということは、『人を殺せる人間になる』と定義づけられている」


念頭にはこの文章があった。「経済成長がなければ私たちは豊になれないのだろうか」という本にこの文章はある。2005年5月21日のぼくのブログ記事「憲法9条は日本の顔」にもこの文章を引用している。
生活レベルで戦争を考えるとき、この文章が頭の中に浮かんでくる。
日本は、普通の国にはならないで、世界に例のない特別な国になった。その結果、日本人の中で、公然と人を殺す訓練をおこなっているのは、自衛隊だけとなり、国民は兵役につくこともなくなった。これは、憲法第9条の力だった。
戦争を完全に否定して60年以上がたった。この貴重な体験を日本人は重ね、国民の中に9条の大切さがじんわりと浸透した60年でもあった。
憲法改正をおこなうかどうか。恒久平和を求める日本の良識がいま、正面から問われている。


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Posted by 東芝 弘明