Oさん宅への訪問
午後、久しぶりにOさん宅を訪問した。自宅から車で出ていくとき、かなり激しく雪が降っていた。冷蔵庫のように冷え込み始めている。Oさん宅には、借りていた本を返しにいくという用事もあった。
門扉を押し玄関にあるチャイムを押して声をかけると奥さんが出てきて、部屋に通していただいた。
Oさんは、黒いジャケット風のベストを着ていた。
まずは借りていた本を話題にして話が始まった。
話し始めると話が尽きなくなってくる。まずお茶をいただき、そのあとコーヒーをいただくことになった。
Oさんとぼくの年齢差は、28歳もある。年を重ねても頭脳が明晰で衰えを知らないという方々がいる。後期高齢者などというレッテルが、全く実態に合わない人は多い。
「不破さんの『マルクスは生きている』と『激動の世界はどこに向かうか―日中理論会談の報告』を大阪まで本を買いに行った。大きな書店には置いていなかったんですよ。現在注文中です」
Oさんは、朝日新聞の紹介記事をぼくに見せてくださった。
「不破さんが好きです」
決して日本共産党を支持している訳ではない人だが、視野広くさまざまな本を読む姿勢には驚く。
「あんたとこの党ががんばらなあかんのと違いますか。私はそう思っています」
民主党の小沢さんの事件について語った後、そういわれた。
「日本共産党は、どんな社会をめざしているんですか」
こんな質問も飛びだした。
「一言で言うなら、憲法第9条と憲法第25条にもとづく国づくりです」
「もちろん、将来的には社会主義・共産主義の社会をめざしています。資本主義が人類が到達した最終の社会体制だとは思っていないということです。資本主義は18世紀から300年続いてきました。封建時代はそれより遙かに長かった。しかし、日本では明治維新以後、資本主義になっていきました。封建制から資本主義に変わったように、資本主義は社会主義に移行していくと考えています」
「日本共産党は、社会主義に到達した国はないと考えています。社会主義をめざす国だと把握しているのは、中国とベトナムとキューバです」
「これだけ、マネーが大きくなって、世界が変わった中で社会主義をめざすと言っても、結局は同じことのくり返しではないんじゃないですか。社会主義は成功してないんでしょう」
「ええ、そうです。社会主義に到達した国はありません。資本主義は、いま、資本主義のもつ矛盾によって大変な状況になっています。金融危機と過剰生産恐慌が重なり合って起こっています。21世紀は、資本主義から社会主義へと移行する時期になると思っています」
「資本主義は疲弊していると」
「そうです」
「300年資本主義が続いてきて、巨大な金融が出来ているもとで、社会主義が実現するとは思えませんね。社会主義という理想を掲げても、それは理想でしかないんではないですか。巨大なマネーをどうやってコントロールするんですか」
「巨大マネーのコントロールについては、まだ見えてきません。ようやくG8でもG20でもだめだと言われ、国連中心に議論をすべきだという方向が出されています。でも、巨大な金融の規制をどうするのかというのは、まだ全く分かりません。日本共産党は、むりやり社会主義に移行するとは全く考えていません。そういう青写真は書くべきではないというのが、日本共産党の取っている態度です。ソ連は、生産手段の社会化は、国有化だという態度を取っていました。しかし、働く人々が生産の中で主人公にはならなかった。生産手段の社会化が社会主義の基本ですが、どのような形態になるのかは、その時になってはじめて具体的になると考えています。いま、必要なのは、資本主義の中での民主的な改革です。大企業に対する民主的な規制をかけるということです。」
問われるままに、こういう話を展開した。
「日本にはあまりににも民主的なルールがない。大企業には民主的な規制をかけてルールを確立すべきだと思っています。規制のルールは規制をかけるだけでは終わりません。そうすることによって、国民の働き方は変わってくるし、購買力も上がる。生活が安定します。たとえば、法人税は40%から30%まで下げられましたが、それが結局地方の交付税を奪うことになった。これを元に戻せば財源は確保できます」
Oさんは、ぼくの話を聞きながら疑問を投げかけた。
「そうすることによって、企業の活力、競争力がなくなるんと違いますか。そうなったら日本の力は落ちるんでは」
「活力を奪うような規制もあると思いますが、活力を奪わない規制もあると思います。8時間労働制などは、12時間、14時間労働を規制することによって、企業はさらに生産を伸ばし発展したんです。不破さんはイギリスの例を紹介してそう書いています」
「右肩上がりの発展が、今日、地球環境を破壊して人類の生存を脅かすようになっています。右肩上がりの発展をこれからも続けていくことがいいのかどうか。この問題も考える必要があります」
Oさんとはこんなやり取りをおこなったが、この問題は、議論だけでは解決しないだろうと感じる。民主的規制は、おそらく、実際の規制を通じて社会がどう変化していくのか、その事実を通じてその役割を確かなものにしていくのではないだろうか。
話は、最後に旅をめぐるものになった。
「今年の春は鹿児島方面に行こうと思ってます。関空から宮崎空港に行き、何日かかけて歩いてまわり、長崎まで行って帰ってこようと思っているんですよ」
「もう先が長くないですから。せめて自分の父親が生きた年の次の年までね」
Oさんは笑って明るくそう言った。
自分がOさんと同じ年齢になって、同じだけの行動力と知的好奇心を持ち続けているかどうか。
話をおしまいにして、時計を見ると5時をまわっていた。隣の町の防災無線から5時を告げる放送が聞こえてきた。
午後、7時から笠田小学校・四郷小学校改築委員会の総会があり、今日の会議で基本設計に対する合意を確認した。いよいよ実施設計が始まる。
しかし。
今回の北校舎を残しながら改築を進めていく案について、賛成しながらもそんなに嬉しくない。南校舎を残す案と北校舎を残す案とを比較検討した中で、北校舎案を選択しただけの話であって、北校舎案がいいものだとは思っていないからだ。相対比較の中で「北校舎案で行くしかないか」というのが正直な気持ちだ。
南校舎を残す案の場合、出来上がった校舎の配置には、限られたスペースを有効利用できないという難点がいくつも見られる。体育館の玄関の位置にも大きな問題があり、使い勝手が非常に悪くなる。駐車場もとれなくなるし中庭が非常に狭くなる。
北校舎を残す案というのは、子どもたちが現在学んでいる教室を残して、新校舎を建設し、新校舎ができたときに引っ越しを行って、北校舎を最後に解体するという計画だ。
現在の校舎には、耐震強度がないので改築が必要になっている。しかし、財政的な理由から旧校舎を全く使わないで仮設校舎を建て、子どもの安全を確保して新校舎を建てるという案は、最初から想定されていなかった。
耐震問題がある中での改築事業が、新しい校舎ができるまで、子どもたちに対する危険を排除できない計画を選択した責任は重い。もし、地震の発生という万が一の事態が発生したら、危険を回避しなかった教育委員会と改築委員会、学校の責任が深く問われることになる。
北校舎の耐震対策というのは、建物上はできないので避難するときの逃げ場所の確保という点で、溝をフタするとか、北の駐車場スペースからすべての車をどけて、子どもたちをそこに誘導するとかの対策がとられることになる。避難訓練は十分に行うことも確認された。
しかし、物理的な安全上の配慮ができないまま、改築に入っていく不安は残ってしまう。
このような計画に賛成した自分の責任の重さについては、書いておきたい。








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