36人の救援ボランティア

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大阪に住んでいる高校時代の同級生から携帯に電話がかかってきた。
「36人で東日本の大槌町と陸前高田市にボランティアに行って来た」
電話の向こうで、彼はそう言った。
「地方自治体の職員が、派遣されていく場合、日当が出る。それが嫌だったので休暇をとって行ってきた」
「陸前高田の真ん中に立って海を見たら、これは逃げようがないなと思った」
瓦礫の撤去などをしてきたという。行きと帰りで30時間ほどかかったらしい。
「お母さんを負ぶって、逃げた。市役所の上にと言われたが、嫌な予感がして高台の方に走った。津波が来ているのが音で分かった。高台の下まで来たときに津波が襲ってきた。必死にしがみついて息を止めていた。気がついたらお母さんがいなかった」
こんな話をしてくれた人がいたという。この人は、1か月ほど自分を責めたようだ。なんて親不孝なんだろう、なぜ自分だけ助かったのか。死んだ方がよかったのではないか。こんなことばかり考えたという。
しかし、こういう状況の時に、入れ代わり立ち代わり、色々な人がやってきて祭りをしてくれたり、励ましてくれた。結局、いろいろな励ましの中で、自分もがんばらないとと思いはじめたのだという。
多くの人々の行動が、被災した人々を少しずつ、元気にているのかも知れない。
話を聞きながら、ボランティア活動などによって応援することが、少しずつ励まして元気を与えているのかも知れないなと感じた。
震災後1か月ぐらいの時点で、支援に行ったかつらぎ町の職員の1人は、沈み込んでいる避難所で、悶々とした思いを抱えて帰ってきた。でも、さまざまな人々の努力が、被災した人を支え次第に力になっている──そんなことを考えさせてくれる電話だった。
「みんな元気?」
「うん、元気やで」
「うちの子ももう中学校1年生になったし」
「そしたらね。またメールするわ」
電話は切れた。今回、ぼくは参加できないが、日本共産党紀北地区委員会は、7月10日、7人で救援物資を満載して東日本に出発する。
赤旗日曜版と日刊紙に折り込んだ救援物資の求めに対し、色々な人が応えてくれて、物資がたくさん集まってきた。
「国の動きが一番見えない」──大阪の同級生の語気は強かった。


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Posted by 東芝 弘明