鉄腕アトムと原子力モーター
暑かったので半袖にした。
ちょうどいい季節だった。
これからは暑い季節になる。
春が長かった分、夏は暑くなりそうだ。
わが家のソーラー発電も非常に順調になり、5月はすでに80キロワットを大きく超えている。
この調子でいけば、450キロワットを超えるかも知れない。
こどもの頃から、気持ちのいい5月の気候が好きだった。
トタン屋根の上に干したふとんの上に寝転がって、雲の流れを飽きずに見ていた記憶がある。山彦がよく響いた。もちろん、新城というかなり山深い田舎だったので、空気はすっきりと澄んでいた。
その当時、40年先の自分の姿を想像することは、できなかった。
平凡なSF好きの子どもだったぼくは、手塚治虫さんのように未来を予測することはできなかった。
手塚治虫さんの予測した未来との関係で、書いておきたいことがある。
鉄腕アトムの誕生日は、2003年4月7日だった。原子力モーターという動力を持つ鉄腕アトムは、現在の科学水準では開発不可能だ。
10万馬力の鉄腕アトムは、最初原子力モーターで動くとなっていた。(なんどかリメイクされる中で最終的には、「ブルー・コアが輝く心臓。心臓部に埋め込まれた原子力よりも強力で安全なクリーンエネルギー。善の心も生み出す。」となった。途中、「10万馬力の力。重水素燃料による核融合エネルギー。」になったこともある)
現在の科学技術で鉄腕アトムの体の中に原子力モーターを搭載することはできない。せいぜい、湯沸かし器としてタービンをまわしそれで電気を起こすことしかできないので、鉄腕アトムをつくると大量の水が必要になり、アトムは水の必要な場所から一歩も動けないことになる。アトムという形の中に納めるのも不可能なので、2011年の科学水準は、手塚治虫さんの空想には追いつけなかったといっていいだろう。
ただし、手塚さんが想像していたものよりも進んだ技術はたくさんある。
何が実現して、何が実現しなかったのか、何が空想を超えていたのかを明らかにすることは、面白いかも知れない。
コンピューターが、現在の水準でなかった1950年代や60年代の方々が、21世紀の未来社会を想像した場合、このようなコンピューター社会の発展を描けた人はないだろう。おそらく、この分野は、人間の想像を遙かに超えて発展したといっていいのではないだろうか。
1980年代、コンピューターの発展がめざましくなった後、作られたSFでは、コンピューターの発展は、その当時の姿を土台にして、飛躍的に描かれるようになる。SFの世界でいつの時期に、コンピューターを基礎にした機器の描かれ方が大きく変わったのかを調べてみるのも面白いだろう。
映像の世界で、特撮が英語版のSFXと呼ばれるようになり、さらにVFXというコンピューターグラフィックスに主役を譲るようになったのはいつなのかを調べてみるのも面白いだろう。