平成から令和へ

雑感

平成が終わり令和が始まると言われても、新しい時代が始まるという感覚にはなれない。社会全体が新しい年号に対応して、さまざまなことを実際に行っているので、ひとつの区切りにはなるだろうと思うが、その思いよりも、どうして1人の人間の即位や退位に対応して、時代が変わるのかという疑問が湧き起こってきて、しらけた感じになる。一つの時代が終わり新しい時代が始まるということに対して、そんなものではないだろうという気持ちが勝ってしまう。

役場には、記帳所が設けられて氏名を書くようになっている。記帳した帳面は、一体どのような運命をたどるのか。宮内庁に届けられるのだろうか。

西暦にしても和暦にしても、どちらも人間がつくりだしてきたものであり、それ自体には、決定的な意味がある訳ではない。2000年から2001年に変わるときも、それは人間が勝手に決めたものであって、地球の歴史や自然界にとっては大きな意味をなさない。朝ドラで、乳牛には土曜日も日曜日も関係ないというようなセリフがあった。そういうものだ。

議員になるまでは、西暦にこだわっていた。でも質問で向きあった町長が、「西暦で質問されてもよく分からない。日本人だから元号でいってもらわないと」という主旨の発言をしたことがあった。質問する相手にこちらの主張が伝わらないのであれば、質問力が半減するので、西暦にこだわるのはあっさりあきらめた。

しかし、平成から令和になる境目が5月1日ということなので、和暦の方がかなり面倒くさくなった。昭和から平成への切替はほんの7日間ぐらいのことだったし、昭和元年は年末の一週間程度しかなかった。どちらもほんの少しの期間だったのでまだ取り扱いに躊躇するのは少ない(地方自治体の職員にとって、これはかなり面倒なことだろう)。しかし今回は、新年度が始まって1か月間は平成31年度ということになったので、めんどくささがつきまとうことになった。

全世界が一つの暦に統一されつつあるなかで、元号にこだわるめんどくささがある。頭の中で換算するのがうっとうしい。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明