もの悲しき民主党代表選挙

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民主党の代表選挙の報道が増えてきた。前原さんも出馬することによって、波紋が広がっている。
しかし、菅首相になって、なぜ民主党の政治がボロボロになったのか、という角度からの検証抜きに、新しい内閣総理大臣が誕生したら、あたかも政治が変わるかのように描くテレビのメディアには、呆れてしまう。
安倍、福田、麻生、鳩山、菅というように、ころころ総理大臣が代わって、政治がどうなったのかを考えていただきたい。5人の中で麻生から鳩山への切り替えは、自民党から民主党への政権交代によるものだったが、10年1日のごとく政治の中身は変わらなかった。変わらないという点では、見事だった。
民主党に政権が交代したのに、どうして政治の転換が起こらなかったのか。
なぜ民主党は、国民の期待に応えられないで、自民党流の政治をたれ流してきたのか。
1年ごとに総理大臣が綺麗に交代している間に、同じ内容の政治が延々と続いてきたなぞを解く必要がある。総理大臣が、短命に終わったということは、総理大臣のリーダーシップなしに政治が動いてきたといっていいだろう。では、だれが日本の政治に一番大きな影響を与えて、動かして来たのか。この謎を解かないと展望は開けない。
介護保険にしても、保育所をめぐる新しい方針にしても、自民党時代の検討が、そっくりそのまま引き継がれて、新自由主義的な政策の充実が図られているのを見ると、政権交代は、結局自民党政治の継承だった。自由民主党から民主党への政権交代は、ただ単に看板から「自由」の2文字がなくなっただけに過ぎなかった。古い劇場の看板の「自由」の文字が腐食して、落下して出来たのが民主党政権であり、小泉さんの時代に人気を博した劇場もすっかり色あせてしまった、ということだろう。
地方自治体をめぐる大問題でいえば、自民党時代から地方分権によって、市町村合併とともに道州制への動きが強まってきた。民主党が掲げている地域主権は、自民党時代の地方分権をそっくりそのまま受け継いで、軸足をいよいよ道州制に移したに過ぎない。ここにも見事な政策の継承がある。
このように具体的な政治の流れが、形づくられてきた中で、菅政権が行き詰まりを見せて、交代せざるをえなくなった。この中での民主党の代表選挙である。
抽象的な言葉しか語れない代表の候補では、政治は変わらない。民主党が、今日まで推進してきた政治を変えようとすれば、まずは民主党内の大きな抵抗にあう。新しい流れをつくるのだから、抵抗は当たり前だ。なのに一生懸命民主党内の支持を集めて、代表選挙に勝とうと努力している候補者の動きが報じられている。支持獲得に躍起になっているのを見ると、民主党の政治を変える力は、代表になろうとしている方々にはないとしか思えない。
テレビのメディアは、代表が代わることによって、政治が変わるかのような期待感を醸成しようとしているが、国民はかなりしらけているのではないだろうか。
5年間で5人総理大臣が代わるたびに、メディアは希望を振りまいてきた。6度目の正直はあるだろうか。期待感の醸成は、むなしい努力ではないだろうか。
問われているのは、政治の中身である。震災を受け苦しんでいる被災者と被災地への支援、福島原発事故に対する対応──この2点で民主党による国政の運営は、ひどかった。
メディアに良識があるのであれば、被災者と被災地に一体何が求められているのかを明らかにし、それに民主党政治が応えようとしているのかを問わなければならない。福島原発事故に対する対応について、何が求められているのかを鮮明にして、民主党政治がそれに応えようとしているのかを問わなければならない。
代表選挙に出ようとする方々の、曖昧な見解を紹介して、期待を託せる人は誰かなどという報道は、民主党の延命策でしかない。
政権が延命すれば誰が喜ぶのか。
それは、自民党時代と民主党時代の両方で、政治に大きな影響力を持ってきた勢力だろう。この勢力の中には国民の目線はない。
民主党の代表選挙は、鵜飼いに似ている。
おもうろうて、やがて悲しきいくさかな


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Posted by 東芝 弘明