歴史の改ざんは資料の廃棄からはじまる

出来事,かつらぎ町議会

一般質問の準備はまだ始まったばかりだが、物事は具体的なので具体的にことをすすめたいと考えている。かつらぎ町のおける戦没者の人数をたずねると1044人という数字が返ってきた。答えを返してくれたのは、社会福祉協議会だった。これは戦没者追悼式を執り行っている関係で把握している人数だった。いつの戦争からか?という問いに対して返ってきたのは西南の役(西南戦争)からという返事だ。西南の役というのは、「1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、日本国内で最後の内戦である」(ウキペディア)

どうして第二次世界大戦の戦没者が明確に分からないのか。県にたずねれば答えが返ってくるのか。それは今後の調査による。(写真は、かつらぎ町の平和公園内にある戦没者の慰霊碑。「西南の役から大東亜戦争に至る勇士のみ霊を合祀し悠久の平和と祖国の繁栄を祈念する」とある)

ネットで検索すると関西学院大学の渡邊関西学院大学社会学部教授の『誰が兵士になったのか(1) ──兵役におけるコーホート間の不平等──』という論文があった。ブログのコメント欄にもこの論文から一部引用した。興味深い論文だったが、ここには、戦後すぐに当時の日本政府が、市町村にある召集関係の資料を廃棄するよう指示したことが載ってあった。この論文の冒頭には、こんなことが書かれている。

 近代日本における徴兵制度は、徴兵令からはじまる。1873 年の徴兵令施行より1945 年の終戦までの間、軍隊のもとに、数多くの一般男子が徴集・召集されていった。アジア・太平洋戦争時には、700 万人以上もの国民が兵士として戦地に送り出され、またそのうち200 万人近くが戦死したのである1)。終戦時に軍隊に籍をおいていた者は全人口の18.6%、20 歳から40 歳までの男子人口に対する割合では60.9% にも上る(中村1974)。
 戦前、特に日中戦争以降の日本社会において、兵役は多くの日本人の生活を変化させ、人生を左右してきた。例えば、徴兵は収入において大きな変化をもたらした。大江(1981, 1988)によれば、当時徴兵されることによって、職場を解雇され、元の職場に戻れる保障はなかった。1920 年代後半の青年労働者の平均月収額は50 円台だったのに対して、徴兵期間中は、給料は5 円50 銭であり、在営中の留守家族の窮乏に対しては、月に9 円の支給のみであった2)。徴兵は、否応なく、人々の生活を一変させてしまうのだ。

第二次世界大戦時の日本が、近代国家の体をなしていれば、国民の生命に関わる重大な召集関係の資料を廃棄することはなかっただろうと思う。当時の軍や政府は、都合の悪い資料を大量に廃棄したので、現代に生きる人間は、歴史の具体的な姿をきちんと知らないまま、今を生きている。召集によって、国民生活がどうなったのか。召集にかけられたら多くの職場は、召集された人間を解雇していたという事実はぼくにとって衝撃だった。テレビのドラマではこんなことはほとんど描かれていない。平均月収50円が、召集されることによって、わずか5円50銭になってしまったら、残された家族の生活がたちまち困難に陥るのは明らかだった。そういう事実さえ伝わっていないのは、どういうことなんだろうとあらためて考えさせられてしまった。

召集関係資料の廃棄処分は有名な話だが、安倍内閣による文書の廃棄の仕方を見ていると、戦前の日本を彷彿とさせるものがあると思っている。横道にそれるが、慰安婦の資料の少なさは、資料の廃棄による。慰安婦はなかっただとか、軍の関与はなかっただとかいう歴史修正主義的な言説は、軍による資料の廃棄を一つの原因としたものだ。大量の資料の廃棄にもかかわらず慰安婦制度は中曽根康弘さんが自分たちが作ったと証言したように、軍の関与を示すものはたくさんあって、それは先人たちの本にまとめられている。そういうものを視野の外において、現在の安倍政権の言質を拠り所に歴史をねじ曲げようとしているのには、驚きを禁じ得ない。

さて、本日の委員会では、所得税法第56条の廃止を求める意見書の提出を求める請願が賛成多数で採択され、日米地位協定の改定を求める意見書の提出を求める陳情書は、全員一致で採択された。新しい試みとして請願の提出者が、委員会で趣旨説明と質疑を行った。この方法はいいと感じた。この試みで議論が多面的になった。

かつらぎ町議会の委員会では、議員間の討議も行われる。意見が対立した場合、議員が意見を述べ合うだけで論点が深まらないと思っていたので、前回の委員会でどうすれば意見が深まるのか少し協議をしていた。論点はどこにあるのかを確認して討議を深めようということにはなっていたが、このことを一般的に確認しただけでは討議は深まらない。出された意見を踏まえて討議を深めるためには、出された意見をさらに深く聞くために相手に質問をするのがいいと思いはじめていたので、ぼくは、いくつか議員に対して質問を試みた。反論するのではなくて、出された意見についてさらに聞くということをするのはいいと思った。結局、相手の意見をよく聞くことが論点を深めることに自ずからつながっていくということを実感できた。

他の自治体の議員だった人とやりとりをすると、請願人からの趣旨説明は、費用弁償が発生しないように休憩中に行い、議員間の相互の協議も休憩中に行うという話だった。かつらぎ町議会は、請願人の趣旨説明と質疑、議員間の討議(協議)のすべてを委員会の中で行った。公式な発言の中で議論を深める。個々には当然責任が生じる。休憩中には行わないというのは、かなり大事な点ではないだろうか。


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出来事,かつらぎ町議会

Posted by 東芝 弘明