阪神淡路大震災から10年 2005年1月18日(火) 

雑感

阪神淡路大震災から10年が経ちました。震災が起こった2週間後、ボランティアの一人として神戸に入りました。西宮から神戸に入って行くにつれて震災の影響がどんどん大きくなり、惨状が目に入ってきました。現地で活動した地域は、東灘区などでした。住宅がかなりの規模で燃えてしまい、基礎だけが残っているところもありました。商店街通りは、道の両側から家が倒壊して通行不可能な状態でした。
テレビで当時の状況や追悼式典が伝えられていましたが、被災者の方々の言葉に目頭が熱くなりました。ボランティア活動で神戸の方々に出会い、胸のつぶれる思いをしながら、救援物資を配り、水を運んだ経験が、被災者の現在の言葉に重なってよみがえってきました。
昨年2月、総務文教常任委員会の視察で北淡町と「防災未来館」にいき、未来館では震災の語り部の一人である庄野ゆき子さん(当時70歳)の体験談を聞きました。
 「数年間は泣いて暮らしました。あと3年生きたらいいと思い、それが5年となり、今年でもう丸9年になった。自分で何かできることはないかと思い、このボランティアに応募しました」
庄野さんはこう締めくくりました。
その後、館内を見て回りました。多くのボランティアの方々が、館内で震災の状況を説明していました。
帰りがけに庄野さん本人を見かけました。
私は声をかけました。
 「9年前、ぼくもボランティアの1人でした」
 「ボランティアの話しもしたかったんですよ。でもね。時間がなくて。また、ぜひここに来てくださいね」
 「はい。必ず来ます。今日はありがとうございました」
娘が地震のことを理解できる年齢になったら、この場所に家族と来たい、そのときこう思いました。
神戸は、表面上復興したように見えます。市民の生活がどうなっているのかは、取材をおこなわないと見えにくくなっています。生活再建という視点から復興を見つめる必要があります。
県主催の「阪神・淡路大震災10周年追悼式典」で村田防災担当相は、こう述べました。
<阪神・淡路地域ではこの10年の間に、住民や地方公共団体、政府の一体となった取り組みで目覚ましい復興が図られた。 一方で地域経済の活性化や被災住民の高齢化に伴う問題など残された課題もある。(17日、朝日新聞>
政府は「復興はなった」と基本的に認識しているのかも知れません。この言い方は、「景気は回復した」という言い方と共通しているものがあります。
企業の業績が回復し、景気の指標が上向きになったら、「景気は回復した」のです。国民生活が向上したらという視点は極めて弱いのです。国民生活という視点が小さかったら、同じ状況に向き合っていても、違うニュアンスが出てくるようです。
「復興はなった」
「景気は回復した」
この短い言葉にも、経済力の大いなる者と、経済力の小さい者に分裂した社会のなかでの視点の違いが反映しているのではないでしょうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明