ハウルの動く城 2005年2月4日(金) 

雑感

宮崎駿監督の作品を楽しみにするようになったのはいつの頃からだろうか。
振り返ってみると「風の谷のナウシカ」も「天空の城ラピュタ」も、劇場で上映されていた頃は全く存在すら知らなかった。
はじめて映画館で見た作品は、「となりのトトロ」だった。この作品を見てからようやくビデオで「ナウシカ」を見、「ラピュタ」を見たような気がする。
「魔女の宅急便」は劇場で見た。その時にはすでに宮崎駿監督の作品だから見ようという意識になっていた。
サツキとメイがトトロにしがみついてま空を飛ぶシーンは、伸びやかさに溢れている。子どもの頃の夢がそこにあった。このシーンは、わが家の娘が最も気に入っているもので、飛びつきだっこは「トトロしよー!!」という名前の遊びだった。
わが家には「トトロ」のDVDがある。今年22歳になろうとする妹の娘が、4歳の時にビデオで何度も見ていた「トトロ」を、ぼくの娘はDVDで何度も見ていた。年齢は同じく4歳だった。
18年という歳月を隔てて、「トトロ」は子どもの心に真っ直ぐ届く。「忘れ物を届けにきました」というコピーをこの作品に与えてくれたのは、お父さんの声をつとめた糸井重里さんだった。「忘れ物」は、サツキやメイの生きた時代を原風景としてもっているぼくたちの世代にも届けられたし、22歳になろうとしている娘にも、最近6歳になったわが娘にも届けられたのかも知れない。時間が折り重なり、季節が何度めぐっても、古くならない作品というものがあるなら、「トトロ」はそういう作品の一つなのかも知れない。

1月早々に「ハウルの動く城」を家族3人で見た。18歳の娘だったソフィーは、荒れ地の魔女に呪いをかけられて90歳のおばあさんになってしまった。しかし、このおばあさんはものすごく元気に動き回り、ハウルの城で掃除婦として住むことになる。動く城は、カルシファーという火の悪魔が動かしていた。悪魔といっても何ともかわいい悪魔だった。
映画を見終わって、ソフィーへの呪いは、半分以上とけたと思った。そしてとけなかった部分は何だろうとも考えた。

映画の中に描かれた戦争は、2つの国にとっても愚かなことだという感じがした。その戦争をハウルは傍観せず、逃げないで止めさせるために動いていたように思う。でも、ハウルが何を目的に戦闘地域に赴いて、空中母艦に立ち向かい、何をしていたのかはよく分からない。男というのはそういうものだという養老猛さんの劇場パンフレットにあった言葉通りだ。ソフィーも、カルシファーも戦争には向き合わないで、中でもソフィーはひたすらハウルを救うことだけを考えて動いていた。しかし、結局戦争を止めさせるうえでソフィーが果たした役割は大きかった。
ハウルの心に関する謎が解けたときは嬉しかった。カルシファーとハウルの関係は、この作品をおもしろくもし、複雑にもしている。作品を通じて投げかけた問いは、ソフィーに対する呪いが半分以上とけたように、半分ぐらいは解けたように思った。でもなんだかわからない部分が残った。
「そこから先は自分で考えるべきです」
宮崎監督はそう言っているような気がする。「ハウルの動く城」を見終わったときに、そこから新しい旅がはじまる。
「トトロ」が、新しく見る人に「忘れ物」を届け続けているように、「ハウルの動く城」は、見る人に絶えず半分ぐらい解ける問題を差し出し続けているのかも知れない。
この謎解きをおもしろいと感じる人と、謎が解けないまま終わり、こんがらがった人との間で、評価がずいぶん違うという結果が生まれているように見える。おもしろいと感じた人は、自分なりの謎解きを始めているのかも知れない。この解けない謎は、ソフィーとハウルが見つめていた青い空のように、澄んでいるのに深く、遠い感じがする。


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Posted by 東芝 弘明