タイムマシンはどうして認識されたか?

雑感

「質問。タイムマシーンみたいに、実際に存在していない概念の形成については、唯物論では、どうやって説明するん?イデアが先っていう、観念論なら、具体物は必要ないから、困らないけど、唯物論なら難しいじゃない?でも実際、タイムマシーンっていう概念はあるやん?わからんくなってきた。だから物体が先で、イデア(概念)が後っていうのも怪しくない?考えといてな」
娘からLINEでこんな質問が届いた。
自宅に帰ると待ってましたとばかりに「お帰り」のあと、「な、わからんやろ」ときた。
「人間は、概念と概念の組み合わせによって、この世にないものまで作り出すことができるんや。でもな、全く実際にあるものとかけ離れたものを考えだすのは難しいんや。何らかの物質的なものを引きずっている」
「タイムマシンについて調べてみ。何かわかるから。一体いつ誰が初めて考えたのか。アインシュタインが大きな影響を与えたのは確かやと思うけど」

ウキペディアのお世話になってみよう。
「歴史 スペインの作家エンリケ・ガスパール・イ・リンバウEnrique Gaspar y Rimbau が1887年の作品 El Anacronópete『アナクロノペテー』(時間遡行者/時間遡行機械)』で登場させたものが最初であったのだが、これはあまり有名にはならなかった。また、この作品では「未来へ行く」という概念は出てこない。
時間移動を最初に描いたのはマーク・トウェイン1889年に発表した長編小説『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』とされるが、マシンは出て来ない。当時のアメリカ社会を批判することがテーマだった作品だった。この作品でも「未来に行く」という概念はない。
一般には1895年H・G・ウェルズが発表した作品The Time Machineタイム・マシン』に登場したタイムマシンが人々に広く知られることになり、様々な作品に影響を与えた。この作品のタイムマシンは過去にも未来にも行くことが可能で、時間を移動するが場所は移動しない、という設定になっていた[注 1]。またウェルズはアマチュア時代の1888年にも時間を移動する機械が登場する「時の探検家たち」という作品を書いている。H.Gウェルズの作品は、何度も映画化された。」

やはりH・Gウエルズの功績が大きかったようだ。1895年は、アインシュタインが特殊相対性理論を発表する10年前、一般相対性理論を発表する20年前にあたる。人々はどうして時間について、それ以前はそう考えなかったのか。それは資本主義の発展と深く絡みついている。時間に関する概念は、資本主義による産業革命以前は、100年経とうが200年経とうが生活様式が極端に大きく変化することがなかったので、そもそも時間に関する概念がかなり漠然としていた。世の中が急激に変化するなんてことは人間の認識にはなかった。
印刷物ができるまでは、記録性も低く、多くの人が書物に触れるということも少なかった。本を一冊作るためには、書き写す必要があったからだ。印刷の技術ができたことの意味は大きかった。それまでは、人間の記録を多くの人が目にすることはできなかったからだ。写真と印刷の技術が出来上がってからは、過去の資料を多くの人が研究できるようになった。そうなって初めて、過去と現在の違いが人間の認識として把握できるように大きく変化した。この印刷技術の発展も、資本主義の技術開発によって成立したものだ。

人間の移動手段も、徒歩か馬かという具合。蒸気機関車ができるまでは、短い時間で空間を移動することもできなかった。そういう時代は、時間は永遠に流れるものであって、そんなに問題にもならなかったということだ。イギリスの産業革命は、1780年代に本格化したようだが、資本主義の黎明期に農民などが労働者として大量に生み出される資本の本源的蓄積が起り、他の時代と比べ物にならない勢いで生産力が発展し、蒸気機関の発明によって産業革命が起こると人間の社会は一変した。
移動手段が汽車や電車、車や飛行機という形になると、時間を管理することが必然として生まれてくる。

「10年一昔」という言葉がいつ生まれたのかはよく分からないが、平安の時代、戦国時代、江戸時代と比べると、戦後の70数年間の変化のスピードは凄まじいものがあるのは、誰もが認めることではないだろうか。政治が安定していた江戸時代。人々は世の中が大きく変わるなんてことはほとんど考えていなかったし、今日も明日も毎日世の中としてはあまり変化のしない世の中として認識されていたし、時間に対する観念もかなり曖昧だったようだ。

日本のバブル経済を象徴したTVドラマ「東京ラブストーリー」。このドラマの主題歌は小田和正の「ラブストーリーは突然に」だったが、ドラマの冒頭、主題歌が流れる中で映し出されるのは横一列に並んだ緑色の公衆電話だった。スタイリッシュな映像だったが、このドラマはまだ携帯電話が普及していない時代のものだ。
このドラマが古い時代のものだと感じるのは、バブル時代を取り巻いていた環境だろう。
1980年以降生活様式を大きく変化させたのは、コンピュータだったのは間違いない。活字による印刷が誰にもできるようになり、携帯電話が現れ、インターネットが生活に入り込んで瞬時に人々がつながり合うことが可能になった。御巣鷹山にジャンボジェット機が墜落したときはまだ、現場の写真を手便で届ける必要があった。今はそういう必要がなくなった。
1980年代以降の変化も激しいが、日本社会が極端に激しく変化したのは、1960年代から1970年代のいわゆる高度経済成長時代だ。この時代の街並みの変化を写真で見たことがある。わずか10年で町並みは大きく変化した。こういうことが体験的に経験されていくと、時間に対する観念が大きく変わるのが理解できるのではないだろうか。

第1次世界大戦の時に全世界の暦をグレゴリオ暦に統一しようとなったようだが、この変化も資本主義の発展による世界市場の形成と深い関係がある。多くの国はそれまで国によって暦が違った。日本の旧暦がカレンダーにその痕跡を残し、立冬や立春、立秋など今の季節感とは少しずれるような日時と言葉が残っている。日本の旧暦は天保暦だったらしく明治5年まで使われていた。
国によって、何年の何月何日が違うということになると、その都度翻訳し直す必要がある。世界市場が成立して、交易が盛んになるとどうしても、国際標準として暦を統一する必要があった。日本が資本主義に足を踏み入れた明治の初めに国際標準になりつつあったグレゴリオ暦を採用したのも必然的な流れだったということだろう。

H・Gウエルズに話を戻そう。この作家がタイムマシンを考えついたのは、産業革命から100年ほど経った時代だ。社会が資本手具の発展の中で急激に変化していくと、過去を振り返ったら現在との大きな違いに気がつく。その中から時間旅行という概念が生まれてきた。現在の激しい変化によって、未来も大きく変わるということが予想されるようになった。H・Gウエルズ以前に時間旅行を考えた作家はいたが、それらは、過去に行くというものだった。

日本の昔話の浦島太郎は、竜宮城で遊んで帰ってきたら地上ではものすごい時間が経っていて、知人は全て亡くなっていたというものだ。こういう話は外国にもあるようだが、偶然未来に行くということは描かれていても、自分の意思で未来に行くということを描いたのは、H・Gウエルズだということになる。

タイムマシンというこの世にないものを想像するようになったのは、資本主義の発展と深い関係があり、社会の変化が時間の観念を深く豊かにしたからに他ならないというのは面白い。タイムマシンという着想は、唯物論との関係で豊かに語れるということだろう。

現実の話としてタイムマシンはできるし、少し先(と言っても1秒もないが)に行った人は現実に存在している。長い間人工衛星に乗って宇宙空間で仕事をしてきた人物が地球に帰還したら、ほんの少しだけ未来に行くことができるのは、アインシュタインの相対性理論が正しいことの証明にもなっている。

もっと高速の宇宙船が誕生して宇宙旅行ができるようになると、地球に帰ってきたが、自分の実年齢と親戚の子どもの年齢が近づいてしまったり、追い越されたりということが生じる。科学者の中には、本気で現実のタイムマシンを作ろうとしている人がいるそうだ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明