新自由主義からの決別と田舎の再生
![](https://katuragi-jcpgiin.net/Blog01/wp-content/uploads/2020/06/2921012_m-644x429.jpg)
田舎の疲弊と新自由主義との関係を考え直す必要がある。
日本は戦後、戦争の食糧難の問題をまともにとらえずに、海外に食料を依存することを当たり前のように受け入れて、日本の農業を壊してきた。農産物の輸入自由化が進むにつれて日本の農業が衰退してきた。
- 食料の自給率向上のために農山村の再生への舵を切る。
- 農山村の人口減少の問題を解決するため、産業政策と農業政策、商業政策にメスを入れ再生へ努力をはじめる。そのために大企業と中小企業の関係を対等平等の関係にして、取引の中で大企業に縛られる関係をなくす。
- チェーン店については、進出した地域に利益のうち一定の%でその地域に再投資されるよう法律を改正し、非正規雇用ではなく正規雇用が増えるようにする。
- 進出している銀行の利益のうち一定の%をその地域に再投資するよう法律を改正し、無担保無保証人制度による貸付などの仕組みをつくる。
- 国は子育てしやすい環境を地方につくるために新たな基準を設け、その財源保障を行う。学校の20人学級、少人数の保育所、幼稚園の整備などを行う。
- 介護と医療の分野に対して、国の財政を投入し、働く人々の条件改善、賃金アップを実現し、医療・介護における人材が確保できるようにする。
- 年金で安心して生活ができるよう国民の平均の年金額を8万円に引き上げ、10万円を目指す。
- 財源は、直接税中心、累進課税への転換をはかり、消費税に依存しない仕組みへと転換し、地方交付税の増額を図る。
- 国民生活を豊かにすることによって、税収が増えるように政策を転換する。
とりあえずこのような改革を進めていき、地域に農業と商工業、医療、介護の循環が生まれるように転換をはかれば、10年、20年すればかなり地域の再生が実現できると思われる。東京都名古屋、大阪が日本の経済の70%を占めるような今の仕組みは、富の地域偏在を生み出し、日本全体の経済を低下させてきた。このような状況になった一つの原因は、大企業中心主義にある。大企業と中小企業の関係を諸外国と同じように対等平等にするだけで、かなり地域経済に変化が生まれる。日本の地方を再生することによって、国民生活を豊かにし、日本全体を豊かにするという戦略を打ち立てて努力をすれば、日本全体が再生してくるだろう。
農業は、日本の貿易との関係やアメリカとや諸外国との関係によって歪められてきた。日米関係を対等平等の関係に変化させることを軸に農業の再生を図っていけば、日本の豊かな国土から豊かな農産物が生み出され、それを日本の国民が食べるという方向へ転換を図ることができる。
新自由主義からの転換は、地域にもこのような変化を生み出す。地域の衰退、地域の縮小、地域の高齢化を必然的な方向だとして、それにあわせて何もかも縮小していくという国の方針にあわせていたら、地方は衰退していく以外にない。コロナ対策後の日本は、戦後政治の大転換でもある。野党連合政権による政治の転換なしにこのような転換は実現しない。野党連合政権が、こういう方向を目指すようになってほしい。
![にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へ](https://b.blogmura.com/localkansai/wakayama/88_31.gif)
![にほんブログ村 政治ブログへ](https://b.blogmura.com/politics/88_31.gif)
![にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ](https://b.blogmura.com/philosophy/philosophy/88_31.gif)
![にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ](https://b.blogmura.com/localkansai/88_31.gif)
地方の没落は本当に残念に思いますが、自然の流れなんでしょうね。
1~4は更に田舎を没落させます。
5は、賛成です。
6~8、そもそも社会保障を税金でってのが設計ミスだと思います。
世界でも社会保障を税金で賄う方が少数派だとか。
皆から集めた保険料で賄うのが健全と思います。
10、4を除く施策では税収は増えないと思いますよ。
もう現在の地方は限界なんだと諦めるところから始めた方が良いと思います。
解決策は道州制ではないでしょうか。
和歌山は人口過疎だけど自然が多くてのんびりしたい人は住めば良く
お金儲けをして利便性を求める人は大阪に出る。
この流れは止めようがありません。
ってことで、新自由主義はさらに加速していくでしょう。
自然の流れですよ。優秀な人材は都会に流れます。言い方は悪いですが、都会に流れなかった残りの人材だけが和歌山に残ります。つまり年々衰退するのです。
和歌山が生き残る道は一つしかありません。大規模な市町村合併(和歌山を3つぐらいの自治体に集約)して観光産業に力を入れる。それが、わずかですが生き残る道です。それも可能性の問題であって、成功するかどうか微妙です。理由は簡単です。既に優秀な人材が残っていないのです。
和歌山の人口予測、25年後に64万人となっています。その時には超高齢化と地元に残った僅かな平凡な若者だけの自治体になります。
この前の新コロナ感染者数は、そのダメな都道府県を数字で明確に示しました。近畿で一番新コロナ感染者が少ないのは和歌山です。つまり近畿のお荷物です。明らかに滋賀、奈良とは差がはっきり現れました。東北地方・山陰・四国・九州の南部・・・衰退地域です。
和歌山が新コロナ封じ込めに成功したのではなく、日本の衰退地域として新コロナ感染者数が数字として浮かび上がらせただけなのです。
ワタナベさんもトリノさんも道州制に希望を見いだしているようですが、道州制による未来への展望を積極的かつ具体的に語ってほしいですね。その際、平成の大合併によって、大規模化した自治体の人口減少がより一層激しくなったことに対しては、その原因を語ってほしいと思います。
道州制については、一言では語れないので都市部と地方の関係について述べると道州制導入で地方格差はさらに進むでしょうね。でも、それは自然の流れで淘汰されるのは仕方ないと私は考えます。
究極の合理化は都市部にタワーマンションを作って人を全て集めてしまえばインフラコストは極限に圧縮できます。余剰分は教育、医療、福祉などに回せ暮らしは良くなると思います。
和歌山は原生林が復活し温暖化防止や動物の楽園となってると思います。
なるほど。トリノさんには、僕の経済政策は、話にならないレベルだと言われて、証明なしに切り捨てられていますが、ワタナベさんは率直ですね。国は、東京、名古屋、大阪を中心に日本は生き残ればいいという考え方と政策を推進しています。その中心がリニア新幹線ですね。日本の生き残る道はこの考え方がよくて、他の地方はどうなっても「おら知らね」ということでしょうか。
東芝さん、左派の人の考えと必ず噛み合わない点があります。
自由主義=弱肉強食=「おら知らね」と言われますが、それは違います。
過去、日本の家電が世界を席巻しましたが今は韓国に取って代われました。しかし、更に遡れば家電はアメリカのGEだったりと世界は常に栄枯盛衰を繰り返して現在に至っています。恐竜は滅んだがゴキブリは人間よりはるか昔から存在し今も健在です。これは、その時代の変化に適応できたものだけが生き残る「自然で正しい形」なのです。これを無理から捻じ曲げる事は必ず破綻を招く結果になると思います。新自由主義は、弱者の淘汰と厳しい面はありますが、新たな強者を生み出し産業を興し雇用を作る新陳代謝の働きをするのです。
衰退する地方は、いつまで地方交付金というアメを貰い続けるのでしょうか。
道州制を導入し、和歌山は観光に特化し「住まないけど遊びに行くところ」が
本当の生き残る道だと思います。
進化論の話は、自由競争によく持ち出されますが、人間と人間社会には当てはまらないと思っています。生物は環境に適応できなかったら滅んでしまいます。進化の方向はランダムなので、進化したがゆえに滅ばざるを得なかった生物も多いのです。人間だけが(といっても限界は当然ありますが)、自然界から労働によって物質を取り出し、それをさらに労働によって生産物に作り変え、社会を形成し、かなり幅の広い環境の下でも生きられるようになりました。人間社会と自然界の進化による淘汰は、全く次元の違う話の違うものです。
人間だけが他者に対する共感の感情を持つと言われ、その感情は3か月の子どもにも備わっていることが実験によって確認できるそうです。
この共感力によって社会は形成されます。資本主義的な競争原理がすべてではなくて、人間は人間に対する共感と協働によって社会を形成しています。この方向に未来があるとも思っています。資本主義の弱肉強食のように見える競争の姿が未来永劫続くのではないと思っています。地方交付税は、国民が納めた税金です。国税に6割、地方税に4割納めた税金が、国に4割、地方に6割配分されることによって、社会の均衡が保たれています。日本における不交付団体はほんのわずかしかありません。こういう団体は、本社が集中している東京など、特殊な条件によって成り立っています。
交付税は、法の下での平等を実現するためにどうしても必要な制度であり、各地方はこれに依存しているのではなく、税金の再配分によって、自由を手に入れているということです。地方自治体が競争によって生き残るという考え方は、根本的に間違っていると思います。政府や自治体は、競争を原理とするのではなく、法の下の平等や国民主権、民主主義を原理として運営されるべき機関だと思います。競争の成り立たない部門の、つまり経済的な利益にはならない分野が、公的部門に集中しており、資本主義的な原理では組織できない分野を政府や自治体が担ってきたのが、歴史だということです。
>地方自治体が競争によって生き残るという考え方は、根本的に間違っていると思います。
衰退する原因は、そもそもソコですよ。
自由経済で競争があるからより便利なものがより安く手に入る。
ソ連時代の笑い話で机の生産工場の評価基準は生産した重さだったそうです。
その結果、1台の机の重さが3倍になったと。
社会主義の怖さですね。
香港も中国による国家安全法制定で民主化運動家は議員に立候補できなくなる。
共産主義の怖さですね。
資本主義経済の中で国や地方自治体は、資本主義がもうけの対象にならない部分を担ってきた歴史があります。それを新自由主義的な競争の枠内で捉えるのは根本的な間違いだということです。
その問題と社会主義を名乗っていた国が、何もかも計算できるとして官僚体制、支配体制の中で役に立たない物を作っていた笑い話のような現実とはまったく次元が違います。非生産部門の日本の行政でもこんな馬鹿げたことにはなっていません。
中国が社会主義・共産主義でないのは、まさに香港に対してとっている人民弾圧、自由抑圧政治にあります。それこそ共産主義の否定です。
東芝さん
話が極端になりましたが、端的に地方も独自性を持って自立しろって事です。
泉佐野が良い例では無いでしょうか。
絵空事を言ってるより実行力ある政策で税収を増やす。
その努力をしないパラサイトは淘汰されるべきです。
自立の中に交付税は入っていないと思います。交付税を地方の財源として認めた上で自立している自治体は圧倒的多数です。むしろ、地方分権といいながら、国が地方をがんじがらめにしている仕組みと考え方を変える必要があります。その意味では自立というのは、自律の意味合いがの方が強いのではないかと思います。自律した地方自治体をつくろうということです。
>国が地方をがんじがらめにしている仕組みと考え方を変える必要があります。
それは、道州制の導入ってことですね。
いろいろな見方はあります。しかし、新自由主義がいつまでも続くというのは、かなり非現実的だと思います。新自由主義は1978年頃からはじまりました。レーガノミックスとサッチャーリズムなどが新自由主義の走りですが、40年ほどの歴史を持つようになりました。結局、新自由主義が、資本主義の富を増やしたのではなく、所得移転を引き起こして、富を偏在させただけ。ここに一番の問題があります。日本のようにルールの十分でなかった資本主義の下で新自由主義的な改革を行って何が起こったかというと、発展しない、成長しない資本主義になって、日本の経済的衰退が年々深まっていくというようなものになりました。貧しい国民を作って、日本でも富の偏在を加速させましたが、2000年以降の20年間は、資本主義のあり方としても転換しなければ先がないというような事態に陥っていると思います。
日本でこれ以上新自由主義的な政策をとっていったら、かつてアジアに日本という国があって、一時期経済成長が爆発的に起こったが、近年は衰退が著しいということになると思います。
東芝さんの経済論は、僕から言わせると検討の値にも達しないレベルです。効果より副作用がとても大きく話にならないレベルです。
それと地方(和歌山)衰退については、どうでもいい問題です。要は、和歌山がこれから衰退していくにあたり、家族がどういうふうに生きていくべきか?ということに興味がありますが、和歌山がどうなろうが私の知ったことではありません。
まあ、和歌山滅亡まではいきませんが、ダメな自治体ワースト10ぐらいには、確実になるでしょう。
僕たちは和歌山に住んでいますが、日本社会は東京、名古屋、大阪という心臓部を残して、後は衰退していく方向に向かっています。日本の国家政策は、それでいいじゃないかというものになりつつあります。和歌山の衰退は、和歌山だけの問題ではなく、日本の圧倒的多数の地域に関わる問題だと思っています。
話にならないという話を展開してください。聞かせていただきます。こういう風に投げかけて答えてくださったことはありませんが。
>話にならないという話を展開してください。
単なる空想に等しい論理だからです。もし役に立つというなら、かつらぎ町で実践すればいいと思います。その結果で正しいかどうか分かる。
ただそうなると、町長になる必要がありますが・・・それと議会の多数派を押さえるのと。
それができないのに、論理を展開しても意味がありません。僕が論理展開するのと同レベルということです。私は政治家ではありません。東芝さんは政治家です。
自分が正しと思う政策を実現させて、初めて政治家です。その努力をせずに単に意見をするだけなら政治家の意味がありません。
一つでも自分の正しいと思う政策を実現させる努力をする。・・・それが政治家の見識であり役目です。批判だけするのは政治家ではありません。私でも批判だけならできますので・・・笑。
それと・・・吉田茂や田中角栄が評価されるのは、いろいろ実現させたからです。それが正しいか?間違いか?は別にして実行したからです。
戦後、日本共産党は何か実現させましたか?・・・・それが問題なのですよ。
トリノさんの読み方は、根本的に違和感がかります。ぼくが書いたことはかつらぎ町だけで実現できるものではありません。それは読めばわかる話です。政治的な大きな改革が必要になる。戦後の日本の政治のあり方をひっくり返さなければならない話です。
政治家としての実行力という話とは全く違う次元の話を書いたものです。もしかして意図的に誤読しているということでしょうか。
語読というより、お互い妄想を語り合っても意味がないということです。科学のような正解がありませんので・・・
たしかに。現時点では田舎の再生論は、ぼくの妄想のようなものですね。自民党政治からの転換を図らないと実行に移せない。