学習会の準備

出来事

配達が終わってから本を読み始めた。学習会のチューターをしなければならない。今日から「改定綱領が開いた『新たな視野』」をテキストにして、集団で学習をすることになっている。ぼくの担当は1章と2章。討論のために話をする。

準備の過程の中で少し調べたのは、尖閣諸島での日本の海上保安庁と中国の漁船の衝突事件だった。
少し書いておこう。
この事件は、領海侵犯をした中国漁船が海上保安庁の船と衝突し、漁船の船長以下乗組員を逮捕したものだった。結局、日本は乗組員を解放して中国側に帰還させた後、船長についても中国に渡すという態度を取った。この判断は検察の判断として行われたという形になった。

日本政府は、あのとき尖閣諸島は日本の固有の領土だという主張をしていない。ときは民主党政権の時代だ。自民党は中国を刺激してはならないという角度から批判した。事件が起こったのは2010年9月7日。日本共産党はこの年の10月に尖閣諸島は日本固有の領土であることを歴史的にも国際法上も明らかだという内容の「尖閣諸島問題日本の領有は歴史的にも国際法上も正当――日本政府は堂々とその大義を主張すべき――」論文を発表している。
ウキペディアでこの事件を振り返ってみると、日本政府は、尖閣諸島が日本固有の領土だという態度を示さなかった一方、中国側は、中国の領土だという主張を行っており、船員と船長の逮捕は不当だというものだった。歴史的事情を知らない海外メディアからは、中国の言い分の方が説得力があるとなった。

この事件は、日本と中国の尖閣諸島をめぐる事件の中で大きな転機をなすものになった。尖閣諸島をめぐって、歴代自民党政府は、「中国との間に領土問題は存在しない」という態度を取ってきた。民主党政権の時代もこの方針には変わりがなかった。中国が尖閣諸島について中国の領土だと主張して、船長の逮捕は日本の領海侵犯で不当なものだと言っているときに、日本が自分の領土であり、しかも実効支配していることを主張しないで、国際問題化したら乗組員も船長も釈放して「お茶を濁す」という態度に終始した。

日本共産党は、今回の綱領改定で中国は社会主義国ではないと規定して、綱領から中国の評価を削除し、綱領全体の大きな見直しを行った。その過程の中で中国をどう評価するのかという分析の出発の一つに中国国内の人権弾圧問題とともに、東シナ海と南シナ海における中国の覇権主義的な態度への評価が必要だった。中国はいま、東シナ海と南シナ海で覇権主義的な態度をエスカレートさせており、同時に核兵器廃絶に対しても背を向けるようになった。

日本共産党は28回党大会で綱領を改定し、中国の規定を削除した。中国は、国内での人権否定とともに、対外的には覇権主義的な行為を行っている。党大会は、こういう国を社会主義をめざす国として評価することはできないとして、次のような結論に達した。

 前党大会から3年間、わが党は、中国の動向を注視してきましたが、中国は、わが党が批判した問題点を是正するどころか、いっそう深刻にする行動をとっていると判断せざるをえません。
 核兵器問題での変質がいっそう深刻になっています。東シナ海と南シナ海での覇権主義的行動が深刻化しています。それらにくわえて、香港と新疆ウイグル自治区での人権侵害が深刻な国際問題となっています。それらの問題点の詳細は、8中総の提案報告と、大会の綱領報告でのべた通りであります。
 中国にあらわれている大国主義・覇権主義、人権侵害は、どれも社会主義の原則や理念と両立しえないものです。中国の政権党は、「社会主義」「共産党」を名乗っていますが、その行動は、社会主義とは無縁であり、共産党の名に値しません。こうした判断のもと、中国に対する綱領上の規定を見直すことにしました。(『改定綱領が開いた「新たな視野」』志井講演より)

対外的に覇権主義の政策をとるというのは、民族自決の権利を踏みにじるというものだ。結局、マルクスやエンゲルス、レーニンが語っていた言葉の意味が極めて大きいことになる。朝方、それも調べて見ようと思って資料をあさっていると思いがけず時間がかかってしまった。
その結果、次のような言葉を集めることができた。

「他民族を抑圧する民族は自由ではありえない」と書いたのはエンゲルスだと思っていたのだが、これはもしかしたらマルクスなのかということになった。エンゲルスの言葉も新たに発見した。
「一民族は他民族を圧迫しつづけながら、同時に自由になることはできない。したがってドイツ人の圧迫からポーランドを解放することが成就しなければ、ドイツの解放は成就されない」(エンゲルス ポーランドについての演説)
「勝利したプロレタリアートは、他国にその“恩恵”を押しつけるようなことをしたら、自分の勝利をも台無しにしてしまう」(エンゲルス)
「ただひとつ次のようなことだけは確実です。すなわち、勝利を得たプロレタリアートは、ほかの民族にたいしてどんな恩恵をも、それによって自分自身の勝利を台なしにすることなしには、押しつけることはできない、ということがそれです」(レーニン 全集⑮307ページ)

「他民族を抑圧する民族は自由ではありえない」という短い言葉は、中国とロシアに、そして何よりもアメリカに突き刺さっている。
アメリカほど第2次世界大戦後も戦争を続け、紛争に介入している国はない。大統領選挙を間接選挙にし、2大政党以外を基本的には閉め出している国は、戦争を遂行するために自由に制限を掛けてきた。自由の国アメリカは、戦争遂行のために人種差別を利用してきた。コロナで亡くなった白人の死亡率と黒人、ラテン・ヒスパニック系の死亡率には6倍の差がある。同じ差は、軍人の戦死者数にも現れる。
外国の戦争に介入する国は、国内の自由を破壊する。戦争遂行のためには国民の自由を制限する必要がある。日本がアメリカの戦争に自衛隊を参加させようとしている中で、戦争法をつくり共謀罪を創設し、憲法改正の中に緊急事態条項を盛り込みたいのは、自由に制限をかけないと戦争を遂行できないからだ。

「他民族を抑圧する民族は自由ではありえない」
という命題は、日本にも警告を発している。


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出来事

Posted by 東芝 弘明