歴史は未来に対する羅針盤

雑感,政治

しんぶん赤旗日刊紙の8月7日付けに小さな囲み記事があった。上の記事がそれだ。アメリカは、戦争当時、原爆を日本に投下する必要はないという認識を持っていた。この認識はポツダム宣言を作成する会議の中でも出されていた。アイゼンハワー連合国軍最高司令官は「日本は降伏の用意ができており、おぞましいものでたたく必要はない」と発言し、マッカーサー元帥は「(原爆投下は)もってのほか」と発言したことが記録に残っている。

こういう認識があったにもかかわらず、どうして日本に原爆を、しかも広島と長崎に投下したのか。これを知りたくなった。日本に降伏を促すために原爆を投下したのではない。とくに長崎への原爆は、プルトニウム型だったので、戦後の核戦略のために使いたかったという指摘が以前からなされていた。

歴史は、過去のことにとどまらない。原爆投下から75年経ってもまだ明らかにされていない面があり、しかもそれは深く現在の政治と関わっている。原爆を投下したアメリカは、原爆投下はやむを得なかったという論が強い。歴史の事実を明らかにすることは、今と深くつながっている。歴史から学ぶことは、人間の生き方に関わってくる。そういう意味では未来に対する羅針盤にもなる。


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Posted by 東芝 弘明