デジタルデータの保管は悩ましい

雑感

マイクロソフトのOffice365 soloを毎月購入しているので、OneDriveという名のクラウドを1テラバイト使用できるようになっている。そこに42ギガほどの写真を待避させている。写真群は、娘や家族の写真で、娘が生まれた頃から小学校を卒業する頃までのデジタル写真のすべてといっていい。この写真群が消滅したら家族崩壊が始まるかも知れないと思われるような、思い出の詰まった写真群だ。
MacBookProの中にだけ保存されていた時代は、写真の保存には気を使っていた。Macのハードディスクがクラッシュしたら、写真による思い出がすべて失われるからだった。しかし、最近はiCloud上に保存されるようにしているので、昔ほど深刻な不安はなくなっている。手元のハードが破壊されても、iCloud上のデータは残るからだ。ただしiCloudの容量が無限大ではないので、どこに保存するのかが大きな問題になる。そういう事情があるのでぼくは、OneDriveの中に写真群を待避させている。

この写真群をダウンロードして自宅の外付けハードディスクにもコピーしておきたいと思い、昨日からダウンロードを実行しているが、最後までダウンロードできないまま今日の夜になってしまった。
MacBookProのダウンロードのスピードは、自宅の環境では、毎秒速いときで1.3メガとか1.4メガだった。しかし、42ギガほどあると8時間かけてダウンロードしても終了しなかった。今日の朝、42ギガに届くかどうかというところで一旦ダウンロードを中止した。ダウンロードの機能としては、ファイルのダウンロードを途中で中断しても、操作を再開すると再びダウンロードを継続することができる。しかし、OneDriveの場合、URLが見つからないという表示が出て、ダウンロードを再開できなかった。
今日、調べてみるとファイルの容量は42ギガとあと少しの容量だった。知らないまま今日の朝、ダウンロードを中断したが、後ほんのわずかでダウンロードが完成するところだった。

結局、ダウンロードを継続できないので、泣く泣くファイルを削除した。その後、実験的に何度もダウンロードを継続できるかどうか試してみたが、うまく行かなかった。ネットで解決方法を検索しても、こういう情報は出てこなかったので、対処の仕方が見つからなかった。

仕方がないので、今日もまた1からダウンロードの挑戦している。安定的にダウンロードするためには、Macをスリープ状態にはしないこと、スクリーンセーバーも作動させないというような工夫が必要になる。さて、何度目かの挑戦で無事ダウンロードを終了させることができるかどうか。
それは明日の朝のお楽しみ、ということになる。

書きながら頭に浮かんできたのは、デジタルデータの管理の難しさだ。思いつくままに書いてみたい。
デジタルデータをどう保存するのかというのは、かなり悩ましい。OneDriveにしても1テラバイトという制限がある。OneDriveの1テラバイトを使用できるようにするためには、毎月Officeを購入するか、年単位で購入する方法を採用する必要がある。たとえば、iCloudに保存するためには追加料金が必要だ。2テラの容量にストレージを増やすためには、月にして1300円かかる。レンタルサーバーに保存する方法もあるが、こちらであれば、年間数千円で実現できる。ただし、レンタルサーバーの運営会社が倒産したらデータの持って行きどころがなくなる。
100ギガというような大容量になったら、SDカードやハードディスクに保存する、ブルーレイに保存するというのもあまり現実的でなくなる。物理的保存は、保管場所の管理状態や保管場所そのものを忘れてしまうこと、メディアそのものの劣化によるデータの消失という問題につきまとわれる。

いずれにしてもいくつものハードルがある。本人がデジタルデータの管理に詳しければ、データにいつでもアクセスできるが、本人が死亡した場合、デジタルデータがどこに保管されているのかが、家族には分からなくなってしまう。残された家族が、デジタル関係の契約を整理する家庭の中で、大量の写真や映像を知らないまま、契約解除という形で廃棄してしまっている例は多いのではないだろうか。

たとえば、地方自治体や国のような機関が、住民の個人向けサービスとして、クラウドを運営し、徹底的にデータを管理するシステムを構築して100年程度保管するような仕組みを構築すれば、それが一番安心できる仕組みになる。しかし、個人情報を自治体や国が管理するということに対しては、別の意味の恐ろしさがつきまとう。
国や自治体は、事と次第によっては、国民を支配するために権力を行使する存在に変化することがある。そうなると預けた個人情報の塊である映像が活用されてしまう。

どのように考えても、現時点では、デジタルデータを安全にかつ自由自在に取り出せる最良の保管法などは存在しないのではないだろうか。
人間の人生というのは、祖父母、夫婦、子どもという3世代単位で移行していくものであり、人間が実際に直に会ったことのない人間については、たとえ血縁関係であっても、急速に忘れられて行くと思われる。
個人の大切なデータの保管に必要な期間は、せいぜい100年までではないだろうか。3世代で100年間、データが保管できる仕組みを作り、次の世代の遺族によって削除できるようにすすれば、個人の大切なデータを親しかった人との関係で残しながら、更新していくことはできるのではないだろうか。

一番いいのは、図書館のような機関が個人の情報を徹底的に管理し、権力の介入を拒否しつつ、利害関係なしに保管すればいい。本人が亡くなると遺族にきちんと通知が届いて、「亡くなった人のデジタルデータは、ここに保管されています。受け取られますか」というアナウンスがなされれば、デジタルデータの保管と管理はうまく実現できるのではないだろうか。資本主義の次の時代になれば、こういう仕組みが構築されるかも知れない。

ところで、データの補完状態が昔以上に改善されている現在において、長く人々の記憶に残る存在は、作家、俳優などだろうと思われる。映像による保存と管理が、本人の死後も残る例を考えると映画というものの存在が、思った以上に大きいと思われる。
本人が、死んだとしても、映画作品の中には、若い頃のみずみずしい姿が演技とともに残されていく。昔は、フィルムの劣化という物理的問題にさいなまれていたが、デジタルデータになった現在は、色々な形で多様に保存されていくので、膨大な映像データが社会の手によって管理されていくことになっている。価値のある作品として支持されたものは、さまざまな形で社会に残されていく時代になった。

雑感

Posted by 東芝 弘明