月の光を平和のもとで見られますように

雑感,出来事

朝、中秋の名月の次の日の月、本当の満月になる直前の月を見ながら赤旗の配達をしていた。中秋の名月の日の次の日の朝方、満月になるんですよと教えてもらった。空に浮かんでいる月が、まさに今満月になろうとしているそのときに巡り合っていた。
雲がなく西の空に明るい月が夜を照らしていた。不思議なことに歩いている人をほとんど見かけなかった。静かな朝の、まだ夜の中に沈んだ朝の月明かりが街を照らしていた。子どものころの記憶が浮かんできた。中秋の名月を見上げながら車の荷台に乗っていた。そのときの月の明かりが頭に浮かんで消えた。

人間の歴史は、ほんの二世代ほどで大きく変わった。時代の変化は早い。その変化を月は見ていた。お国のために命を捧げることが当たり前であるかのように言われ、それを心底信じて見上げた月も、平和が実現して、個人の尊厳が大事だと思って見上げた月も、形は何も変わらないし、月の明るさも、その綺麗なさまも変わらない。でも月を見る人の気持ちの落差は大きい。戦争によって命の短さを感じながら月の明かりを見ることのない時代。この時代がこれからも続くように。

平和を願い、そう願う国民に主権があり、国の交戦権が否定されている枠組みが壊れなければ、これから先も見上げる月への思いは、家族のことや自分のこと、恋人のこと、自分の夢、叶う夢や叶わない夢というものになる。国の交戦権を認めると、この関係は簡単に壊れてしまう。国家は、国民を支配しようとし、国民の権利をも簡単に踏みにじろうとする。

国の交戦権の否定、軍隊の保持の否定。自分と関係のないように見えるこの条文が、実は日本人の生活と命を守る根底に横たわっていることを実感している人はどれだけいるだろうか。月の光は何も変わらないのに、その月を見上げる人間の社会ははかなく脆い。国民主権と国の交戦権の否定は、一つの糸の端と端。この関係が断ち切られたら社会は変わる。

月の光を平和のもとでこれからも見られますように。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明