月にまつわる言葉

雑感,出来事

旧暦は明治5年まで使用されていた。太陽暦であるグレゴリオ暦に変わるまで1ヶ月は29.5日だったので、1年の長さが354日となり、地球の公転とは合わなくなるので、季節が1か月ほどずれると閏月を設けて調節していた。月と太陽の動きのどちらを採用するかで何月何日というものが変わってくる。日本の旧暦は、江戸時代の天保暦が採用されていた。1831年から1845年が天保だというから、そんなに古い話ではない。正月のお祝いが、グレゴリオ暦の1月1日ではないということは、新しい年が始まったという気持ちは、それぞれの年によって微妙なズレを伴っていたということになる。

太陽暦の場合、去年の正月はこうだったというのは、カレンダーで確認され、ちょうど一年前にはこうしていたということが正確にわかる。しかし旧暦では、さまざまな調整が必要だったようなので、なかなかよく分からない世界になる。太陽の動き=地球の運動の仕方によってカレンダーを作っている世界では、何月何日というのが国際的にも同じになる。地球の自転によって時間のズレは生じるけれど。しかし、月の満ち欠けによって月日を組み立てるというのには、なんだか魅力を感じる。太陽よりも変化が早い月の見え方を基本にして月日を決めていた時代は、今以上に月を見て人々は心を動かしていたのではないだろうか。

今日の中秋の名月、十五夜のお月さんは綺麗だった(写真はイメージ)。ただし、ぼくの目には乱視が入っているので月の輪郭は三重くらいに見える。くっきりとした輪郭を見れない。テレビ画面で十五夜を映した映像を見た方が輪郭が綺麗に見える。月明かりの下で懐中電灯なしに夜道を歩くのもいい。澄んだ空気の中で道を歩くと高い空から地面にへばりついている人間が見えるという感じがしてくる。

電気のなかった時代は、夜になると墨のような真っ黒な世界だった。一寸先が闇だという夜は、人間にとってはすごく怖い世界だったに違いない。こういう世界の中で月明かりに照らされた夜は、格別の夜だった。月明かりのある夜のありがたさと、十五夜と呼ばれる日の貴重な様子は、おそらく現代とはかなり違ったものとしてとらえられていただろう。地上にほどんど明かりのない中での中秋の名月は、ため息が出るほど綺麗だったのではないだろうか。十五夜にお団子を作ってお月さまを見てお供物をして夜を過ごすという文化は、子どもにとっては、かけがえのない1日だったのではないだろうか。

月の美しさは、月の変化を受け止める言葉に残されている。下弦の月や上弦の月、空の鏡、田毎の月、淡月、朧月夜。
月の光を頼りにして生きていた時代のくらしに密着していた言葉。印象深い言葉の中には、月によって闇から命を守られてきた生き方が潜んでいる。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明