ウソとのたたかいに勝つために

雑感

kisyakaiken-hasimoto

大阪市を廃止して特別区を設置することの是非をめぐる住民投票について、新聞記事を読みながら、ぬぐえない違和感があるので書いておきたい。
今回の住民投票に対し、ぼくは2回応援に行った。応援しながら次第に驚きが怒りへと変化したのは、維新の会の橋下市長の側は、終始一貫、まともな説明をしなかったということだった。自民、民主、共産は、橋下さんが繰り広げるウソとたたかわざるを得なかった。
「大阪都」構想。大阪都をカギ括弧でくくっていた新聞がいくつかあったが、この書き方には意味がある。大阪府は都にはならない。都になるためには、国会で法律を制定する必要があり、さらにもう一度住民投票を行う必要がある。大阪都が実現不可能なのは、日本に2つの都を作る意味があるのか。作っていいのかという大問題が横たわっているからだ。都構想という言い方は、最初から看板に偽りありだった。
若い人の中には、メトロポリスに賛成という人がいたが、住民投票に橋下さんが勝っていても、メトロポリスはできなかった。

反対派が最後まで訴え続けたことの一つは、「大阪市を廃止・解体し5つの特別区が設置されます」ということだった。
「大阪市がなくなります」
反対派は、なぜこんなあたりまえのことを宣伝したのか。それは、「大阪市がなくなる」という訴えに対し、橋下市長が「大阪市はなくなりません。コミュニティがなくなるわけはありません」という反論を行っていたからだ。大阪市を廃止するとは言わずに「24区を5つの区にして、区長と議会を選挙で選ぶんです」という言い方もしていた。
投票用紙には、「大阪市における特別区の設置についての投票」だと書かれていた。現職市長が「大阪市はなくならない」と言い、投票に行ったら投票用紙には大阪市がなくなると書いていないのだから手が込んでいる。
「ほらみろ。市長が言うように大阪市がなくなるなんて書いていない」
そう信じた市民もいただろう。非常に謀略的だ。

そもそも、橋下さんは、特別区とは何かという説明をまともにしなかった。
東京都の特別区と同じ特別区を大阪市を廃止して設置すると、固定資産税と法人市民税、特別土地保有税が府税となって府に移譲される。その結果特別区に残るのは税収の4分の1の1600億円、4分の3に近い4600億円は府に入るという説明は、なされなかった。特別区になると都市計画の用途指定ができなくなるという説明もなされなかった。
この説明を一生懸命していたのは、「都構想」に反対していた側だった。橋下市長は、特別区が設置されることによって財源効果としてが4000億円生まれるとか、財源が2700億円できるとか言って運動していた。大阪市の法定協議会の資料には財源効果は1億円としか書いていないのに。

「大阪府と大阪市を一つにして、強い大阪を作る。二重行政を解消する」という言い方もしていた。「納税者をなめたらあかん。反対しているのはみんな既得権益をもっている勢力。税金がムダ遣いされている。一度ぶっつぶして新しい大阪をつくる」という言い方もしていた。
しかし、具体的に作ろうとしていたのは、大阪市の解体と5つの権限と財源の小さい特別区の設置。手が込んでいたのは、権限を奪うために120もの事業を担う一部事務組合を作ろうとしていたことだ。一部事務組合というのは、共同する仕事を担う地方公共団体だが、この組合を作ると、自治体から事務が完全に移管される。それは権限を奪うに等しい。全国で120もの事務を一手に引き受けるような一部事務組合は存在しない。ここまで徹底的に特別区から事務を奪うと、もはや地方自治体ではなくなる。
大阪府と一部事務組合と特別区という三重の仕組みを作るのが、今回の「都構想」だった。この改革の一体どこが二重行政の解消なのだろう。権限の極めて小さい特別区を作ったら地方自治が破壊され、住民のくらしは大変なことになる。国保料の値上げ、地下鉄の民営化、保育所の民営化、公共施設の廃止、子どもの医療費無料化が維持できなくなる。反対派はこういうことを訴えていたが、これらはみんな、都構想によってもたらされる具体的な姿だった。
都構想の本音は、大阪府に大規模計画や事業を任せるところに目的と本音があった。大阪市の財源を大阪府に奪い取るために組み立てられたのが都構想だった。ウソは、この姿を覆い隠すものだった。
維新の会は、特別区が設置されたら身近な行政が実現できるので住民サービスは向上すると言い放った。しかし、なぜ住民サービスが向上するのかという説明はなされなかった。最終盤維新の会の宣伝カーは「反対派のウソに騙されてはなりません」と言っていた。

都構想に賛成した人は、どう考えて何に期待したのか。反対した人は、何を理由に反対したのか。
この点については、住民投票の結果を受けていろいろな分析がなされている。新聞を読んでいて違和感があるのは、都構想を改革案として評価しながら「賛成した人々は改革を求めていた」という指摘だ。橋下市長は大阪市を変える最後のチャンスだといって、都構想を改革だと訴えていたので、こういう意識が生まれ、投票行動に繋がった間違いない。閉塞感の中で「変えてくれる。変えてほしい」という気持ちが渦巻いているのはよく分かる。しかし、変えるという話は、ウソで塗り固めたものだったのだから、ウソ宣伝で投票動員を行っていた事実をきちんと指摘して、分析しないのは大きな間違いだろう。活字に書くのもはばかられるような低次元の、謀略的なウソ宣伝を行った維新の会に対し反対派は、都構想の内容を必死で伝えて反論していた。この事実を踏まえて分析をしないと、今回の住民投票の本質には迫れない。

「大阪市は廃止されます」
「いいえ、大阪市はなくなりません」
大阪市民の中に「よく分かりません」という受け止めが広がったのは、こういう次元の主張が展開されたからだ。
反対側のビラにはくり返し「橋下市長は○○と言っていますが、それは真っ赤なウソです」と書かれてあった。現職市長の発言を「真っ赤なウソ」だと書かざるをえなかった住民投票は、今まで例がないだろう。今回の住民投票は、ウソとのたたかいという異常なものだった。

しかし、ウソの宣伝に対するたたかいは、今後重要な意味をもつと思われる。
安倍総理の戦争法に対する記者会見も、ウソで塗り固められたものだった。「戦争法という指摘は全く当たらない」、「アメリカの戦争に日本が巻き込まれることは決してありません」というもののいい方は、橋下さんの宣伝とよく似ている。
戦争への道と憲法改正への道とのたたかいは、ウソをつく側と真実を明らかにする側とのたたかいになる可能性がある。
ウソとのたたかいに勝つために───今回の住民投票の教訓の一つは、ここにあるのかも知れない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明