イメージが湧かず悪戦苦闘 2005年5月9日(月)

出来事

午前中、橋本市から来訪者があり、2人で色々と相談した。これで時間がかかったので、文書の作成がはかどらない。
午後、党活動の関係で紀陽銀行にお金を両替に行った。両替したお金は4万円。5000円札と1000円札、500円玉、100円玉、50円玉、10円玉、5円玉に交換したのだが、交換枚数は90枚を超えた。
「両替は50枚を超えると210円のと数量が必要になります」
「えっ、そうなんですか」
「ええ、農協さんなんかに行けばもしかしたら手数料はいらないかも知れませんが」
「お金をお金に換えるときにも、お金がいる時代になったのですか」
「申し訳ございません。…どうなさいますか」
「伝票を分けて書いたら手数料はかからないんですか」
「いえ、お一人様、一日1回という事です。…どういたしましょう」
「うーん。…はい、いいです。両替します」
手数料を払ったので、文句をいう筋合いではないのだが。
両替の手数料について考えてみる。
少し前までは、大きな紙幣から小さなお金に換えるときには、50枚ではなくもう少し枚数が多くても手数料がいらなかったと思うのだが。
銀行のシステムでいえば、50円玉を1円玉に替えると210円の手数料がいる。
この場合、両替の手数料は実際のお金の4倍以上となる。
40円=40枚の1円玉だが、50円玉1枚=50枚の1円玉+210円ということだ。260円を持っていなければ、1円玉50枚を1枚の50円玉に交換してもらえないし、50円玉1枚を50枚の1円玉に交換してもらえない。
しかも、210円の中には10円の消費税がついているように思う。勝手に手数料加算をした上に消費税をとる。これは理不尽だ。
もはや1円玉はやっかいな小銭になってしまったのだろうか。
銀行は、口に出していわないが、銀行の儲けにならない両替を今までは笑顔で、サービスでやってきた。しかし、「これは損だ」と考えたのだろう。
「この業務は非効率このうえない。時間がかかるのに1円もお金をもらえないのはおかしい」
こういう理屈だ。
銀行の窓口にはもはや無料のサービスは無くなりつつある。
もしかしたら、今後、融資などの相談業務にも手数料を請求するようになるかも知れない。
料金をもらい始めた今は、こう変わった。「よけいな仕事で手を取られるのは、銀行にとっておもしろくないので、手間にふさわしいお金をいただきます」

Time is money.


銀行はこの言葉を地でいく。
210円の経費はでない。おそらく、普通の会社では、両替に手数料がいった場合、納得しがたいのではなかろうか。
金利はかぎりなくゼロに近い。1年間で210円の利息を手に入れようと思えば、200万円ほど定期預金をしなければならないのではなかろうか。人様に年間200万円も借りて、210円ほどしか利息を払わない銀行は、50円玉を1円玉50枚に替えるときにはあっさり210円を手にすることになる。
銀行がおこなっているクレジットローンの金利は17%ほど。人様にお金を借りるときには、ゼロ金利に近く、人にお金を貸し付ける時には、破格の利息を付ける。
銀行のどこに民間企業としての厳しさがあるのだろう。儲けの仕組みは、役場以上に親方日の丸?的に守られている。
厳しいのは、中小企業に対する貸し付けと取り立て、働いている行員への規則とノルマ。
これはしかし、本当の民間企業の厳しさではあるまい。
両替したお金で、細かくお金をわけたあと、文書作成に戻ったが、なかなかはかどらず。午後5時からは会議。そのあとまた文書作成。7時30分過ぎに帰宅。
日記を書いたら、また文書作成。


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出来事

Posted by 東芝 弘明