未来社会の姿を妄想した

雑感,出来事

午前中で議会だよりの原稿を仕上げ、午後は綱領の講義資料を作成して完成した。今回は、未来社会論を充実させるようにしたい。例えば5時間労働が実現したら2時頃までに仕事が終わるので、家族そろって映画やショッピングをしたりしても自宅には7時ごろまでに帰り、夜はお互いのケアを行いながら自由な時間を過ごす。自由な時間が毎日11時間あるようになっても、この中に家事労働など互いにケアする労働が残る。男女の平等が徹底してくると、子どもを育てる仕事は夫婦の共同の営みになる。ケア労働は細切れに存在するから子育て期間中は、幼児期の子育てにかなり時間が取られることだろう。介護保険のようにショートステイ的な子育て支援がときどき使えるかも知れない。

労働時間の圧倒的な短縮は、社会環境を大きく変化させるだろう。長時間の保育事業は必要なくなり、商業の分野のサラリーマンの勤務に合わせた深夜までの営業にも大きな変化が生まれ、24時間営業も必要なくなる。交通事情も大きく変化するだろう。同時に利益最優先の営業方針、例えばAmazonの深夜に注文したら翌日、配達されるという驚異的な販売形態も変化すると思われる。

地球環境の維持、継続が優先され、環境を破壊してしまうような経済活動は、絶えず長期に渡って見直されていく。社会主義社会への移行によって、生産手段が社会の手に徐々に移されていくので、大きな生産力を持った組織の生産が、地球環境最優先に変化し、人と物(生産物)との関係を大きく変化させる。この変化によって、生産力の低下も起こるだろう。しかし、この低下は、高度に発達した生産力を地球環境と社会のために真に必要なものへと変化させる中で起こる。プラスチックによって、人間に跳ね返ってくる脅威も、研究が進み、プラスチックに変わる生産物が生まれてくるようにも思われる。環境に廃棄されても環境に戻っていくような生産物が優先される社会へと動くと思われる。

原子力発電は、本当のコストが全部国民の前に明らかにされ、廃棄されるだろう。国という機関が、国民を欺瞞することはなくなていく。国が国民主権に基づいてガラス張りになり、自由と民主主義が生かされるようになると、国と国民との関係や地方自治体と国民との関係が大きく変化する。国から国民を苦しめるような政策が出てこなくなる。おそらく、議論は極めてシンプルになるだろう。長期にわたる試行錯誤は必要だが、真理がどこにあるのかが物事を決める最大の判断基準に次第になっていく。

本当の意味での人類の本史に至るまでの期間は、かなり長期にわたり、社会主義に進むことになっても、そこからさらに100年を要するかも知れない。全ては生産手段の社会化への移行と労働時間の短縮から始まる。人間の自由な時間は、人間を多面的に豊かにする。自由な時間が人間の個性を保障するし、持っている可能性を多面的に伸ばすように変化する。教育は、一人一人の個性に合わせたものに変化するだろう。教員や看護師や介護士、保育士などケア労働と呼ばれる仕事の位置づけが高まり、尊敬されるようになるだろう。絵画も音楽もスポーツも、生活に密着したものになり、地域に豊かに存在するようになる。プロとアマチュアの関係はどうなるだろうか。この分野でも変化が起こると思われる。

未来を勝手に想像するのは空想に過ぎないが、日本共産党の綱領は、ある程度未来社会を描けるところまで明らかにしてきた。青写真を描くのは間違いだが、どういうことが基本になるかは、かなり豊かに語れるようになりつつある。このような未来社会をつくるための運動こそが、国民の運動だと思う。豊かな未来は豊かな運動の先にある。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明