教育談義 2006年7月9日(日)

出来事

小学生で10時まで塾通いをしている子どもたちがいるという。
その子たちの自由時間は、何時間あるだろう。
限られた時間の中で、お風呂にも入らなければならないし、学校に行く準備もしなければならない。家族との団らんはどうやって作るのだろうか。
子どもから自由な時間を奪って、直接体験をおこなう機会を奪っていくと、針金の先にかなり大きな線香花火を着けるような育て方になるように思う。
線香花火には富士山のようなすそ野の広さがない。
パチパチと燃えて、最後にはぽとんと落ちる線香花火。綺麗に光る線香花火には、はかない美しさがつきまとう。
人間線香花火は、ぽとんと落ちて消えたあと、再生するまでに非常に大きなエネルギーを必要とする。
学校は人間を育てるところだと思う。人間は、個別的な存在だから、それぞれの個性を生かしながら成長の羽をさまざまな方向に伸ばしてあげる努力をおこなわなければならない。
それは、早期にその子どもの個性を“発見”して英才教育をおこなうことではない。
子どもたちの才能は、どういう方面に開いていくのか、それはよく分からない。10年間努力をして向いているのかどうかを見極めるような、気の長い育て方が必要だと思う。
訪問先で、ときどき、さまざまな教育談義になる。


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出来事

Posted by 東芝 弘明