季節の変化

雑感

忙しくなってくると、季節の微妙な変化に心の動きを任せることができなくなる。
「庭の花、何が咲いているか全く知らないよね」
妻はよくそう言っている。
変化を感じられないな、というのはそういう言葉が投げかけられてはじめて分かる。
今年の夏は暑かった。暑さはまだ続いている。
ただ、朝方と夜、気温が下がってきて涼しさを通り越して寒さを感じるようになった。これは、暑さに体がまいっていたので、気温に敏感になったせいなのかも知れない。
変化を感じる心が大切だと思うし、変化を感じる心のゆとりも大切なものだと思う。そういうことに鈍感になってくると、まわりのものが見えないで、自分の問題意識に自分自身が絡め取られているのかも知れないと思ってしまう。
なんとなく遅くまで起きていることがある。
深夜から明け方まで起きていると地球の自転の速さを感じることがある。数時間前に日が沈んだのにもう太陽は地球を一周してきて、東から登るのかというような感覚だ。
こちらの方は、忙しい中でも感じる感覚なのかも知れない。
今日は、朝、食パンを焼いたときに、表面のきつね色がまんべんなく一面に広がっているのを見て、綺麗だなと感じた。無造作にパンを焼いて、何にも思わずにそれを食べ、テレビを見て食事をすます。こういう生き方をしていると、どうも心が貧困になってくる。
花鳥風月を感じる人間になろうと言っているのではない。心をニュートラルにして、入ってくる刺激や情報にしなやかに反応するような、そういう余裕が生きるということにとって、大切ではなかろうか、といっているのだ。
動物は、瞬間を生きている。外界からの反応には極めて敏感に体を動かす。それは、生存のための極めて厳しい反応でもある。人間も動物なのだから、身の回りの変化について、敏感に反応し生きている存在であるべきだろう。
そうでない生き方というのは、頭でっかちの、自分の精神や意識の中に埋没した生き方なのかも知れない。
気温の変化に敏感になってた自分は、やっぱり生物なのだという自覚を呼び起こしてくれたのだといってもいいだろう。
パンがこんがり焼けて、1日が楽しくなる。そう言った感覚を大事にしたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明