議会だよりかつらぎ、編集終了

かつらぎ町議会

議会広報編集委員会を開き、ようやく9月議会の編集が終了した。編集会議の途中から新人議員のS議員がメンバーに加わった。
表紙の写真は、大谷小学校の子どもたちが、学校のランチルームで楽しそうに給食を食べているものになった。
2面は、議会改革の取り組みでアンケートをお願いすることと、12月議会で議会改革の特別委員会を設置することを伝える特集記事になった。
表紙の写真の担当は、FさんとU君の2人の議員が担当した。最後のページでは、「がんばる人(ひともしくはじんと読む)紹介」という記事を組んで、町内の団体や個人の取り組みを紹介している。このページは、ぼくとF議員が担当した。
紙面改善を図ってきて、新方針にもとづく紙面編集もようやく軌道に乗ってきた感じがする。年が明けるともう一踏ん張りして、さらに紙面の改善を図れるように工夫したいと思いはじめている。

「議会だよりかつらぎ」は、編集委員である議員のメンバーと議会事務局の努力によって作られている。一番多い作業は、文章の校正だろう。読者の側に立って、いかに分かりやすく書くか、という視点で紙面の編集をおこなっている。
しかし、広報はあまり読まれない状況にある。週刊誌のように面白可笑しく書かれていないし、新聞のように速報性がない。町民のニーズがどこにあるのかをたえず意識しながら、住民に分かりやすく新しい制度を紹介するなどの工夫が必要だろう。
少し先を歩きながらものを考えていくことが問われている。

夕方、携帯電話がかかってきた。生活相談の電話だった。病気が再発して入院しなければならないが、経済的な心配があるという話だった。
医療費の3割負担が入院すればのしかかってくる。
社会保険は、本人負担は無料、家族は1割という時代があった。1984年頃まで、政府は、本人負担を無料にすることを目標として、国民健康保険の医療費負担を改善することを目標にしていた。
医療費の負担を軽くするだけで、どれだけ国民の幸福の条件は広がるだろうか。
社会保障制度が細れば細るほど、人々のくらしは、「板子一枚海の上」という状態に近づく。山本周五郎の江戸時代の庶民のくらしの描写を読んでいると、社会保障制度がない時代の庶民の苦しさが痛いほどよく分かる。
日本人は、ことの重大さを自覚した人々を中心に、社会保障制度の改悪に対して闘ってきた。しかし、警鐘を鳴らさなければならないマスコミは、政府よりの報道を行ってきた中で、国民を揺るがすようなたたかいは起こらず、時代が進むにつれて制度はどんどん悪くなった。

社会制度は、国民が生活する上で空気のように存在しているのではない。日本国憲法第12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と書いている。自由と権利は不断の努力によって保持する必要がある。この努力を怠ると自由はせばめられ、権利は奪われる。
1980年代の中曽根内閣以降、急激に起こってきた制度の改悪は、この12条の規定を教訓としている。

日本国憲法は、多くの国民と多くの諸国民の犠牲の上に成り立った憲法だ。ここには、人類の最高の到達点が盛り込まれている。この憲法にもとづいて戦後日本を建設していれば、日本はもっと素晴らしい国になっただろう。
不幸だったのは、日本国憲法を批判し、この憲法を敵視してつくりかえたいと考える自民党という勢力が日本の政治をになってきたことだ。
押し付け憲法というのは、極めて表面的な言い方だろう。
第2次世界大戦という大きな犠牲の下で、人類は日本国憲法が体現した精神を生み出したということだ。

制度疲労といういい方ががある。
戦後日本の制度は、ありとあらゆる方面で制度疲労を起こしているといういい方だ。これは、構造改革の理由にされる。
しかし、どのような制度疲労が起こっているのかということは、必ずしも明らかにされない。
戦後確立した民主主義的な制度が疲労している訳ではない。むしろ、よい制度が骨抜きにされて形骸化していることの方が多い。
形骸化=制度疲労ではない。
構造改革は、民主主義的な制度を破壊して、企業が儲けを上げられるようにすること、政府を小さくすることに目的がある。制度疲労という言葉は、民主主義的な制度があたかも疲労しているかのように描いて、制度を後退させている。
形骸化が問題であれば、原点を見つめ直して、よりよい方向に発展させるということになる。
物事には歴史がある。歴史には発展してきたプロセスが刻まれている。歴史を踏まえることは、原点に返ることも意味する。大切なのは、より良いものを発展させることであって、破壊することではない。
構造改革は、結局民主的な制度を破壊してきた。政府は、経済界やアメリカの意向を踏まえて働き方と社会保障を破壊した。その結果として格差と貧困が広がった。
制度疲労という言葉が、どのように使われているのか、これを注意深くとらえて、問題を組み立て直さなければならない。


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Posted by 東芝 弘明