異論を聞くために

雑感

人の気持ちを大切にしたいと思っている。自分との意見の違いがあっても受け止める、耳を傾けるという人でありたい。反論したくなる人の意見をじっくり聞くことがどこまでできるか。これがなかなかできない。途中で話の腰を折って、話(反論)するのは本当によくない。
これができるときと、できないときがある。
若い頃は、反論したくて仕方がなかった。論争好きで今以上に理屈っぽかった。これは悪い癖だと思っている。
20代の頃、相手の意見をよく聞くと言うことを教えられたというか、諭された。それからは、何時間でも相手の意見を聞くようになった。相手の意見を聞けるようになったのだけれど、論争好きは直らなかった。それでも、相手の話をじっくり聞けるようになってから、相手に受け入れられていることを感じることが多い。

あるとき、いつも聞き役のぼくの話を、1時間弱じっきり聞いてもらったことがあった。人に話を聞いてもらえることのうれしさをそのときに感じた。人は人の話を聞かない。人に話を聞いてもらえるのは、めったにない出来事だと思っていい。めったにない機会を作って相手に喜んでもらえる人になりたいとも思っている。

論理で相手をねじ伏せることはできない。では議会における質問とは何なのか。
質問を通じて、事態が変化するのは、論理の力ではなくて、事実による探究の力だと思っている。意見の違い、見解の違いがあっても、事実に対してどうなのか。ここが一番大事。議会は、法律や条令が生きる世界。質問する側にも質問される側にも法体系という共通の基準がある。この基準に基づいて、事実を提示していくと話がかみ合ってくる。なかなか、一致できない問題でも、共通の土台の上に立って、「これはどうか」と事実を提示すれば、やがて自体は動く。事実はいつも具体的であり、具体的な姿は現場にある。

人の考え方はどうか。議会を離れて人の考え方を変えることを考えると、人はそんなに簡単に考え方を変えないと思われる。特に自分の考え方にこだわっているときは、どんな角度から話をしても、簡単には考え方は変わらない。この場合も事実に対してどう考えるかということが基本になる。しかし議会よりも時間がかかることが多いのではないだろうか。

会議の中で対立するのではなく、意見を出し合って、意見交換をしていくと、一つのところに落ちつく。対立してもいい。対立したら、ではどうすればいいのかということ提示すればいい。そこからさらに議論が始まる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明