自己変革はできるかどうか

雑感

以下のことを思いつくままに書いてみた。見出しは付けたが、論文のように精査されたものではない。単なるメモ、殴り書きのようなものだと受けとめていただきたい。ぼくの思考を吐き出しただけのもの。

自分の性格をどんなに捉え直してもなかなかそれだけでは変わらない

自分自身の努力によって、自分の考え方や性格を変えることができるかどうか。そういうことを変えることは難しいのではないか。人はなかなか変わらない。三つ子の魂百まで、というのは、ある程度正しい。
このテーマに対して考えてみた。

自分の考え方、ものの見方、思考の癖、それに伴う視点や視野、そこから生まれてくる問題の対処方法、そういうものをひっくるめたその人の一般的な性格。おそらくは、そういうものを変えたいと思って、自分の特徴を書き出して、変えようとしても、うまくいかないのではないだろうか。

簡単なスローガンでも、なかなかできないことを並べて、毎日そうなるように心がけようというように自分を戒めても、できない日々が多い。目標のように掲げたスローガンは、その人にとって実現しがたい永遠のテーマみたいになる。

たとえば
人には優しくしよう
毎日に感謝し笑顔ですごそう
嫌なことを言われても、腹を立てずにすごそう

この3つのことを掲げても、できないことはたくさん起こる。自分はまだまだ修行が足りない。みたいなことになる。

ここで書いているのは、カウンセラーや医師などの専門家のアドバイスを受けつつ行う認知療法や認知行動療法の領域を否定するなんてことではない。第3者の力を借りながら、認識のゆがみを丁寧に正していくことには深い意味がある。物事の捉え方や人間関係の結び方、問題の解決の仕方などを丁寧に行う認知療法や認知行動療法も、人間の思考に分け入って思考方法だけを取り出して対応するのではなくて、その人の思考と客観的な存在や人間関係の中で、丁寧に歪んだ認識方法を治療として改善するというもの。この努力は大きい。
書こうとしているのは、そういう分野のことではない。
書きたいのは、自己変革についての一般的なことだ。

重要なのは意識改革という捉え方は間違っている

意識改革という言葉が嫌いだと書いたことが何度かある。現状認識を鋭くして、そこから導き出される課題を自覚して、目的を持ってそれをめざすときに、まず意識改革が求められる。このアプローチの仕方は正しい。しかし、「問題は意識改革」だという考え方には違和感がある。それは間違いだと言いたいのだ。

人間がすぐに変えられるのは、自分の行動。つまり客観的な現実に働きかけること。現状認識から導き出す方針は、現状を具体的にどう変えるかという方針であって、意識の持ち方ではない。もちろん意識の持ち方は重要。現状を具体的にどう変えるかという方針を認識するのも「意識」だからだ。
「意識改革」ではなく、現状に対する認識とそれを具体的に変える方針、プロセスを自覚し、行動の変化を起こすこと。ここに現状を変えるカギがある。現状を変革する中でこそ、人間の意識は大きく変わる。意識が先に変革を遂げて徐々に現状が変わるのではなくて、現状を変えることを通じて意識が徐々に変わる。言いたい力点はここにある。

行動を変えることと哲学との関係

矛盾しているようにもみえるが、
自分自身で自分を変えるためには、哲学が必要だと思う。哲学の根本は、自分をメタ認識できるかどうかだろう。自分を空を飛んでいる鳥の目の視点で見つめることができるかどうか。この視点は自己変革には欠かせない。しかし、自分の弱点や欠点、長所などを俯瞰的に認識できても、それを具体的に直すというのではない。問題意識をもつということでいい。哲学できなければ、自分自身をどう変えるかなんていうテーマが、その人の中には存在し得ない。自分を客観視できるかどうかという視点が重要だということを言いたいのだ。
その上で、客観的な事物の対する認識力を鍛えるために必要なのは学習なのだと思う。本や資料から学ぶという本質の一つには、本や資料から学ぶことを通じて、自己の物の見方や考え方を徹底的に批判し検討するという点がある。自分にとっての新しい知見、新しい視野、新たな認識に対して、「なるほど、自分の認識のここが狭かった」とか「間違っていた」とか「そういうことは知らなかった」とか言うことに接して、自分の考え方が少しでも変化しないと、客観的な現状を捉える新たな視点はできない。学ばなければ、現状を分析する新たな視点は獲得できない。したがって、学ぶ努力なしには現状を変革する新たな方針もできないことになる。

重要なのは現状認識と変革の方針

これらのことを前提として、自分をどう変えるのかという点で重要なのは、現状を変革するための行動だろう。客観的な現状を変えるために、行動を起こすことを通じて、結局は「自分の考え方、ものの見方、思考の癖、それに伴う視点や視野、そこから生まれてくる問題の対処方法、そういうものをひっくるめたその人の一般的な性格」が変わるということになる。いわば自分の外界にある客観的な状況を変えることを通じて、自分のものの見方、考え方を変えるということだ。

「意識改革」という甘美な言葉に逃げるのではなくて、客観的な現実の具体的分析の上に立って、それを変革する方針を打ち立て行動を起こす。ここにこそ、現状を変革する具体的な力があり、その努力を通じて一人一人の自己変革は実現する。
もちろん、現状分析と打ち立てられる方針は、集団のものだ。個人が原案を作成する必要はある。そこから出発して、いかに集団の共通の方針として打ち立てることができるかどうか。まずはここに成功しなければならない。

個人が組織の中で輝くために

次に重要なのは、一人一人の人間がもっている特徴だ。組織の中で一人一人の人間が、方針実践の主人公になるためには、個人がもっている具体的な力を発揮することが重要になる。その方針を主体的にやり遂げる上で、人間が如何にして、目的意識的にその物事に関わるかどうか。方針の確定とその実践のなかで繰り返し大切のされるべきなの、会議の活性化と個別の打ち合わせだろう。このプロセスの中に自己変革の課題もあるということだろう。

人間の集団の力は大きい。仕事を協力し合って成し遂げる中に人間の喜びがある。目標は達成したが疲れ切って、組織がバラバラになり、崩壊していくのではなしに、オーケストラのように個人が際立ちながら美しいハーモニーを奏で、集団の力で新しいものを生み出していく。この中に自己変革の課題もあるということだ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明