国民主権を守るために戦争反対を

雑感

ireihi

「社会党を含めて他の政党が何らかの形で戦争に協力したのに対し、ひとり共産党は終始一貫戦争に反対してきた。従って共産党は他党にない道徳的権威を持っていた」(『日本の政党』自由民主党研修叢書、一九七九年)
1980年代に入る直前に、自民党の研修用教科書は、日本共産党が戦争に反対を貫いたことをこう表現しました。今の情勢は、この文章の意味を今の時代の中に置きなおして考えるべき時期にきていると思います。

国民主権がなかった時代、戦争に最後まで反対した政党は、自民党がいうように、日本共産党しかありませんでした。
しかし、現在は違います。現在は、国民に主権があり、この国民主権を貫くために基本的人権を保障し、国家による戦争を禁じた憲法があります。「ひとり共産党は終始一貫戦争に反対してきた」時代は、過去のものとなりました。国民が戦争に反対を表明しても、命を奪われない時代が、今日の時代です。「ひとり共産党は」という言葉を「国民は」という言葉に置きかえ、戦争反対の運動を起こせば、戦争をくい止めることのできる時代が、今日の時代です。

大切なのは、時代の流れだといって戦争に協力してはならないということです。「私は個人的には戦争には反対だが、自民党なので立場上戦争反対を言えない」というような考え方が広く存在します。それは、戦前も同じでした。「個人的には、戦争に反対だったが、立場上反対できなかった」──東京裁判で戦争責任を問われた人々は、異口同音にこのような趣旨のことを述べたといいます。
自民党に集まっている人々の心情には、こういう方がかなり多いのではないかと思っています。大勢につきながら利益を共有し、人間関係を構築してつながりで仕事をするということです。たえず空気を読みながら、自分の身を安全な場所において、許容範囲を確認しながら発言するという傾向です。
右翼的な潮流が台頭すると自分の発言もそれに合わす。左翼的な潮流が強まると自分の発言をその流れに載せるというように。

現役の自民党の国会議員のほとんどの方が、安倍内閣の暴走に手を貸し、戦争への道を突き進んでいる情勢下で、歴代の自民党幹事長の方々が、戦争反対を掲げ、繰り返し主張している姿には、深い共感を覚えます。同じ文脈で、現在の天皇が憲法を守る決意を明らかにし(天皇は憲法を守る義務がある。これは憲法上の義務)、戦後現行憲法下で平和な日本を築いてきたことを評価する発言を繰り返しているのにも、深く共感します。

大勢に順応するということを貫けば、日本は戦争に至ってしまいます。保守系議員もよく「時代の流れ」という言葉を使います。市町村合併のときもそうでした。合併への動きが強まれば、それに従い、合併反対の動きが町内で決定的になってくるとそれに合わす。終わってから「本当はこう思っていた」みたいなことをよく言います。大勢に順応している人は、自分たちが戦争に手を貸しているという自覚が乏しいですね。自分の主体的な判断で意思を持って推進しているわけではないですから。
こういう時代になってくると戦争に賛成、海外派兵賛成と積極的に気を吐く人が増えてきます。この流れを促進している人は、気持ちがいいでしょう。ヒーローのような気分なのかも知れません。少々過激な発言をしても国家に守ってもらえますから。

大勢に対し、ついていくのか、抵抗するのか。ここに国民主権を発揮するのかどうかの試金石があります。
もちろん、主権者として決意を持って戦争に協力するという判断もあります。こういう立場に立つ人は、ごまかさず正々堂々と戦争論、国際協力論をとなえるべきです。議員のような立場にある人間が、自分できちんと説明もできないのに、戦争に協力していくのは、許しがたい行為だと思います。政府そのものが、本質を誤魔化して戦争への道を選択しようとしている時に、それに追随すれば、自分では説明がつかないことになるのですから、自分の取っている態度が正しいのかどうか、よく考えて頂きたいと思います。無責任に追随する人の罪は極めて重いと思います。
戦争に反対したいという思いをもちながら、大勢に流されようとしている人は、国民主権の値打ちをよく考えていただきたいと思います。戦争か平和かの歴史的分岐点で、戦争反対という勇気を持たないと平和は守れません。

ドイツは、戦後、なぜ国民の多数がヒットラー政権を受け入れ支持をしたのか。どうしてファシズムを見抜くことができなかったのかを深く掘り下げて、国民一人ひとりが、リテラシーを持って真実を見抜く力を培わなければならないという反省に至りました。
日本の戦後は、ドイツとは随分違う道をたどりました。ドイツのように歴史を見つめ、歴史から学ぶことを十分にできなかったことが、戦争をふたたび許すという形で浮上してきているように思います。ワイツゼッカーさんが、「過去に目を閉ざす者は、未来に対して盲目になる」という指摘を行いましたが、この言葉が、日本国民全体に重く問いかけられていると思います。

国民主権と基本的人権、恒久平和。この憲法3原則は、すべて密接につながっています。日本国憲法は、第2次世界大戦という人類史上最大の戦争の犠牲の上で確立された人類史的意味をもつ憲法です。戦争の完全な放棄をうたう憲法9条が日本国憲法にのみ存在するのは、日本国憲法に国際連合の意思、人類の願いが込められているからです。この憲法の下で戦争しない国として70年歩んできたことは、日本国民の誇りだと思います。

戦争は、国民主権を破壊し、基本的人権を破壊せざるを得ません。戦争遂行は、国民の戦争反対運動を抑え込むことなしに成り立ちません。
アメリカの大統領選挙が、事実上共和党と民主党の2つの政党以外を閉め出し間接選挙の仕組みをとっているのは、戦争を遂行してきた国だからです。戦争をする国は、その国の国民の自由を制限する必要があります。

日本国憲法は、権力者の手をしばり、国民の権利を高らかに宣言しています。私たちは必要不可欠な空気と水のように憲法によって守られています。「生きる自由は自分のもの」だと思っている国民は、圧倒的多数だと思います。しかし、この生きる自由は、戦後確立したものでした。若者の命、子どもたちの命を守り、国民主権と基本的人権を守るために、戦争反対に立ち上がることが求められています。


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雑感

Posted by 東芝 弘明