2022年を振り返って

雑感

12月31日になった。1年の計は元旦にあるが、1年の締めくくりは12月31日にあると思っている。62歳になってから5か月が経つ時点で町議選挙があった。今回は、もう一人の候補者擁立の道を探ったが、願いがかなわず、選挙の準備がかなり遅れてしまい、訪問対話がいつも以上にできなかった。

選挙戦の組み立ては、すべて自分の思いの中にあった。作成する宣伝物もアンケートもポスターもすべて自分で行った。唯一印刷会社にお願いしたのは、公費となった選挙本番のポスターだけ。後は本番中のチラシ。これは自分で作る時間がなかったので、共産党の県委員会に作成してもらった。自分による対話は800件程度に留まった。
戦初戦の中で「トップ当選して下さい」ということを多くの人からお聞きした。この話がどんどん広がった結果、対話をはるかに超える1287票という結果になった。この票になる力となったのは、チラシとリーフ、本番中の演説だったのだと思う。

批判をなくして希望を語るという演説を行った。自分の中では批判を希望に転化するというものだったと思っている。批判は、課題として押し出して、困難にどう立ち向かうかという点に力点を置いた。このような現状や課題に対して、どう対応するのかという形にすれば、批判は事実の指摘に留まり、それを打ち破る希望へと転化することができると考えている。
それは、おそらく批判を封じ込めるというものではない。悪政によって、国民の前には数多くの困難や障壁ができている。このような多くの課題に対して、どうやって局面を切り開くのか。これが求められている。演説ではそこに力点を置けばいい。
こういう訴えの仕方ができるようになったのは、自分の中では進化だった。

選挙後、議員の活動が極めて忙しくなった。相談事も増えた。この活動の中で寄り添うことが大事だという気持ちが強まった。ただ、選挙後、地域を歩くという活動や後援会員への働きかけは弱くなった。日本共産党の事務所を中心とした活動は、ほとんどできなくなった。そうなったのは、議会運営委員長と議会だより編集委員会の委員長という2つの任務の比重も大きかった。ただ、自分で活動のテーマを設定して、準備したので、この準備にかなり多くの時間を割いた。しかし、それを実現するために何をなすべきなのかということが明確化したので、この努力は実るのではないかと思っている。

今年1年は、町議選挙の前と後で大きく日常が変わることを経験した。夏に娘が家を出てアパート暮らしになり、妻と2人の生活というシンプルなものに変化した。8月末にはコロナにも感染し、10日間の自宅療養を余儀なくされた。幸い症状が軽かったので、まとまった休日をコロナによって与えてもらう形になった。コロナ療養の後半は、復帰後すぐに行った新人議員の学習会の講師準備に費やした。本を読みながら準備をしたことは楽しかった。

本を読みながら仕事をすると、自分の認識が深まって新たな視野を獲得できる。この新たな視野に基づいて、新しいことに挑戦する。そこから切り開かれるものがある。そういう感じで日々を送っている。それが楽しくもある。

国政の劣化が激しい。国は自公政権によって、官僚に対する支配も強まっているので、政策の積み重ねが破綻してしまった。曲がりなりにも、官僚が描いてきた国家戦略がなくなり、日本は政治を中心に漂流し始めている。この漂流政治が国民を不幸を押しつけている。物価高対策や円安対策、コロナ対策に対する、データに基づくエビデンスというものがなくなった中で、軍拡と増税だけが声高に叫ばれている。展望も見通しもない政治が、国民にあきれ果てられる可能性も高い。
そういう状況下で新しい年が始まる。国民の中にパラダイムシフトが起こる可能性がある。そういう時代にぼくたちは生きている。そこには新たな展望が開ける可能性も厳然と存在している。この中で生きていきたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明