マルクスは何度でも蘇る

雑感

「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである」
というマルクスの言葉を中心に講義の準備をしている。日本は、資本の好き勝手に社会的ルールを、規制緩和というスローガンのもとで推進してきた。資本が一番のぞんだのは、働き方改革だった。2000年、派遣労働が原則解禁され、若者と女性の二人に一人が非正規雇用になり、先進国で日本だけが賃金が減少している国になった。ネットで先進諸国の賃金と日本の賃金を比較してみればいい。日本で進行している現実は、先進諸国とは逆行していることを確認できるはずだ。
日本の財界は、国際競争に打ち勝つために、労働者の賃金を切り下げることを遮二無二推し進めてきた。その結果、GDPが伸びなくなり、デフレ社会になって、まったくこの社会から脱却できなくなった。賃金の引き上げと労働時間の短縮。これが最も必要な政策だったのに、日本は真逆の方針を選択した。労働者派遣の原則解禁は、法律によってしか実現できなかったから、財界の意向を政治が忠実に実行したということだ。
日本共産党は、日本国憲法に書き込まれている国民主権は、実現していないと分析している。選挙を通じて実現すべき政権は、国民主権を実現する民主主義革命になるというのが日本共産党の打ち出している展望だ。アメリカと財界の意向を実現することを通じて、国民主権を踏みにじっている現実を直視し、この2つの勢力から国民主権を手に入れる改革が必要になっている。

「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである」という分析は、無制限に発展しようとする生産力が、資本主義的生産の本性だが、この生産力の発展を制限しているのは、資本そのものだという意味だ。これは、今の日本の現実によく当てはまる。
日本の資本は、労働者の賃金を徹底的に切り下げることによって、国際競争力を強め、利潤を蓄積してきた。しかしこの政策は、結局、労働力の再生産さえ破壊し、日本の極端な人口減少という症状を引きおこした。GDPが伸びずに衰退している傾向は、資本が利益を上げるために求めた政策が、資本の儲けの根本的な土台を自分で破壊していることを意味している。「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである」というマルクスの科学的な分析は、日本社会の具体的分析ではない。マルクスが生きていた時代、日本は明治維新を終えて明治に足を踏み入れた時代だった。しかし、マルクスの150年以上前の分析は、日本社会の根本問題を見事に説明している。
マルクスは予言者ではない。徹底的に資本主義の諸法則を明らかにした経済の研究者だった。資本主義社会とは何か。商品とは何か。労働力とは何か。貨幣とは何か。賃金とは何か。単純再生産とは何か。拡大再生産とは何か。どうして機械制大工業が発展すると利潤率は低下するのか。なぜ資本主義は恐慌を回避できないのか。なぜ生産と消費との矛盾がたえず引きおこされるのか。どうして、労働者のたたかいは、まず労働時間をめぐって行われたのか。資本主義の価値の生産は生産過程にあるが、その価値を実現するのは流通過程にあるなどなど、これらの解明は、マルクスの研究による。『資本論』という本は、聖書に次ぐベストセラーであることは間違いない。
「マルクスは生きている」という言葉が、資本主義の矛盾が噴き出すたびに語られて、再評価され、マルクス関係の本の出版が後を絶たない。

資本主義社会の科学的分析。この研究によって、マルクスは何度でも蘇る。資本主義が続く限りにおいて。


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雑感

Posted by 東芝 弘明