演説は訴えであって、説明ではない

雑感

屋内の演説が上手な人もあれば、街頭演説が上手な人もいる。屋内と街頭の演説は別物だとも感じる。もちろん共通点はある。屋内は、観客が多いので、話はキャッチボールの上手な人がいい。観客との間での呼吸が大事になる。相手との関係で受け答えができない人は、話が面白くない。キャッチボールができているかどうか。聞いてもらえる話をする場合、ユーモアが必要になるが、これがなかなか難しい。
場数を踏んでなれないと、屋内の話は上手になれない。

街頭演説は、いかにして相手に訴えるかが大事になってくる。と思っている。
演説でしてはならないのは、「説明」だろう。街頭における説明口調の演説ほど、聞くに堪えないものはない。説明ではなく訴えること。これが大事。

説明的な演説というのは、以下のような感じ。
「みなさん。敵基地攻撃能力というのは、相手が攻めてこないのに、こちらから相手のミサイル基地や首都の中枢機能をミサイルによって破壊することです。これは、昨年の12月の中旬に岸田首相によって安保三文書が発表されて、具体的に明らかになってきました。日本共産党は、この敵基地攻撃には反対しています。これは憲法9条に違反しています。戦争をしない、戦力を持たないと決めた憲法9条に違反した敵基地攻撃を認めてはならない。これが日本共産党の立場です。」

こういう話を聞いているのはしんどい。話として面白くない。では説明ではない訴えというのはどういうものか。
ちょっと書いてみよう。

「みなさん。みなさんは、戦争準備が始まっていると感じているでしょうか。
「日本は戦争なんてしないよ」、そう思っている人が圧倒的に多いのではないでしょうか。
実はみなさん、昨年12月、岸田首相は安保三文書を発表しました。この文書には驚くべきことが書かれています。
一つの焦点は台湾です。
中国が台湾に軍事侵攻したら、アメリカが台湾防衛のために戦闘に参加する。そうなると自衛隊は鹿児島から南西諸島まで防衛することになっています。
安保三文書には、南西諸島の住民の避難計画を作成すると書いています。
このシナリオが実行されたら、沖縄や石垣島が戦場になります。

こんなことを、岸田内閣は、閣議決定で決めてしまいました。国会では全く議論されていません。
まさに、国民の知らないところで戦争準備が、具体的に始まっています。
戦争は、国民から見れば、ある日突然始まるように見えます。ロシアのウクライナへの侵略も、ウクライナの国民からすれば、突然始まった戦争でした。
国民の知らないところで、日本が戦争に参加しようとしている。これが今の現実です。
なぜ、こんな話が国民に伝わらないのか。
一つは、マスメディアに原因があります。
政府の有識者会議に読売新聞や日本経済新聞の幹部が参加し、安保三文書に積極的に賛成しています。
メディアが、戦争準備に手を貸しています。
第2次世界大戦のとき、大手新聞はみんな戦争に協力しました。これが今再び始まっています。
恐ろしい事態だといわなければなりません。
みなさん、日本国民には主権があります。自由もあります。情報化時代ですから調べれば政府の計画を知ることができます。
ぜひ、みなさん、自分で調べてみてください。
そうすれば、戦争のリアルが見えてきます。」

説明と訴えの違いは伝わっているかどうか。

説明はしない。
一生懸命訴える。それが演説。


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雑感

Posted by 東芝 弘明