おたずね質問や窓口質問の先にあるもの

雑感,出来事

作りかけの議会だよりのラフレイアウトを議会事務局に持って行き、午前中、南副町長にお会いした。午後、日曜版配達の準備をしてから紀の川市に行った。
会議の後、役場に日曜版を配達に行き、ラフレイアウトの直しを受け取った。一般質問がかなり多いかなと思っていたが、そうではなさそうだった。
毎議会ごとに一般質問をしてきて33年目に入りつつある。この33年間、すべての議会で一般質問を行ってきた。1回ごとに徹底的な準備をして、原稿を書くということを繰り返している。質問準備によって身についてきたことがある。質問力はそれなりに高まってきたと思っている。

共産党の国会議員の活動を見ていると、1つの会期の中で何回も質問している。その都度集中的な準備をされているので、頭が下がる。もちろん、秘書が調べた事柄もあるだろう。でもそれらを全部自分のものにして質問席に立たないと、十分な質問はできない。かつらぎ町の60分、一問一答という時間は、共産党の国会議員の通常の質問時間よりも長い。その点は幸せなのかも知れない。

質問は、学習会で講師の話を聞いて、尋ねるようなものではない。学習会でも講師の話を読み込んで、この点についてはどうかと切り込んでいくような質問になればいい。しかし、それでも学習会の質問は、講師の話の手のひらにのっかって、その範囲で質問することが圧倒的。深い質問ができたとしても、準備に基づくものではないので、そんなに深いやり取りにはならない。
これと比べると、議会における質問は深さが違う。

おたずね質問や窓口質問はしない。おたずねや窓口で聞く話は、準備段階で事前に全部終了させる。質問はそこから先の話。町長に聞く場合も、町長の考え方なんて聞かない。聞くのは、質問テーマに対して、こうすべきではないかと言うことに対する見解だ。もちろん、いつでも町長に対して質問できるわけではないから、窓口で町長に質問できないので、考えをお聞かせくださいというのはある。でもそれで終わる質問も多い。もちろん、積み重ねによって、そのような質問をし続けても、行政が良い方向に変化することはある。
でも、町長の考え方を聞いて、「はい、おしまい」ではほとんど意味はないだろう。検討すべき課題に対し現状を踏まえた上で、こうすべきではないかという形にする。

課題に肉薄する中で新しい視野をひらく。ここに質問の意味がある。


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Posted by 東芝 弘明