社会保障の改悪に命を燃やす政権党

雑感

宮井議員が視察で留守だったので、議員団会議を主催した。
今日の学習のテーマは「子ども・子育て新システム」とはどういうものかということだった。
自公政権が行っていた議論を民主党がそっくりそのまま引き継いで、仕上げの段階に入っているのが、「子ども・子育て新システム」だ。
現在進められている税と社会保障の一体改革も、自公政権が推進しようとしていた計画と非常によく似たものであり、社会保障改革の筆頭に上げられているのが、この「子ども・子育て新システム」だ。
現行の児童福祉法は、保育に欠ける子どもの保育については、自治体が責任を持って保障しなければならないというところから出発している。しかし、「新システム」では、市町村が行うのは、保育に必要なサービス量の認定をするだけになる。保育事業は市町村の義務でなくなる。認定だけというのは、介護保険と非常によく似ている。

新自由主義という経済政策は、徹底的に社会保障を憎んでいるのかと思うほど、社会保障の解体に熱心だ。社会保障の解体戦略ともいうべき現在の攻撃は、日本国憲法の基本的人権の諸規定や「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(生存権)を規定した憲法25条、13条の幸福追求権に対する破壊的な挑戦になっている。
アメリカは、日本の国民皆保険制度や社会保障の制度に対し、「社会主義だ」という攻撃をおこなっている。アメリカの目から見ると、戦後の日本の社会制度は社会主義らしい。アメリカの資本主義というのは、アメリカンドリームと引き替えに弱肉強食を国民に強いるシステムなのかも知れない。

新自由主義は、アメリカかぶれの経済理論であり、労働法制の破壊と社会保障制度の攻撃を最大の特徴としている。経済界には規制緩和を推進し、金融の自由化と株式資本主義を実現してきた。その結果、日本社会は、大きな歴史的岐路に立たされている。

介護保険が導入されて以降、介護保険をモデルにして社会保障制度の作り替えが行われてきた。それは、応能負担から応益負担への大転換だった。国民は、所得の応じて負担してきた福祉の時代からサービスに応じて負担する保険制度を中心としたものを押し付けられてきた。
もちろん、保険制度のすべてが悪い訳ではない。しかし、保険制度だけだと保険料(税)の未払いの問題と一部負担の未払い問題が発生するので、どうしても弱者を切り捨てる傾向が生まれてしまう。社会保障制度は、保険制度だけでは成り立たない。
日本共産党は、介護保険導入の際に保険制度とともに措置制度を残し、組み合わせるべきだと提案していた。これは、保険制度の欠陥を補うものだった。
障害者自立支援法は、介護保険に合流させるための一里塚のような制度だったが、障害の重い人ほど負担が重い制度という大きな矛盾のなか、障害者の方々の強い運動を受けて大幅な改善が図られた。

保育から自治体が撤退してはならない。それは、少子化と過疎化が進行しているわがかつらぎ町のような田舎にとっても、子どもの人数が増えている東京のような都市部にとっても、大きな不幸をもたらす。根底に横たわるのは、財政問題になる。国と自治体が、保育に対する義務を完全に放棄し、民間の経営に保育をゆだねると、住民の負担が増大するのは明らかだ。この問題が現実のものになると、弱者が保育サービスから弾かれてしまう。

民主党政権というのは、新自由主義的な構造改革を批判した結果、誕生した政権だ。この政権が、わずか2年半ですっかり「(自由)民主党」になってしまった。財界とアメリカ、それと協力体制にある官僚のいうままになって、消費税増税の実現に命をかけ始めている。
「くらし第一」といった民主党の大親分は、自己保身のために忙しい。まさに、人我を忘れるという状態にある。
「くらし第一」から「アメリカと財界第一」の政治への復帰。これが政権交代のなれの果てだ。

民主党の前に括弧付きでいいから自由をつけて呼んでご覧なさい。ここに民主党政治の本当の姿がある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明