首相は日本語を知らないのか。─「慚愧に堪えない」に寄せて

未分類

「テレビを観ていると安倍総理は、「慚愧に堪えない」と答えていたが、自分のしたことに本気で恥じ入るのであれば、真相を解明しないでかばい続けたことに対し、恥じ入り真相を明らかにすべきだろう。」
昨日、Blogにこう書いた。この件に関して読売新聞は面白い記事を書いている。

安倍首相が松岡農相の自殺について、「慚愧(ざんき)に堪えない」と述べたことについて、「『残念だ』という意味で使ったのであれば、間違っている」という指摘が出ている。
 「慚愧」は「恥じ入ること」(広辞苑)という意味だからだ。首相周辺は「最近は反省の意味でも使われており、問題はない」としている。
(2007年5月28日23時46分 読売新聞)


安倍内閣は、一度発した発言を訂正したくないらしい。訂正しないので国語辞典までねじ曲げてしまう。総理大臣や首相周辺が、自己弁護のために国語辞典をねじ曲げるのはいかがなものだろうか。
「慚愧に堪えない」という言葉は、辞書によると「反省して恥ずかしく思うこと」(大辞林)とある。反省してという意味も含んで恥じ入ることが慚愧という意味なので、思わず本音が出たということなのかも知れない。
首相から本音が漏れた可能性は、鈴木宗男さんの日記から読み取れるような気がする。
鈴木宗男さんの「ムネオ日記」5月28日には次のように書かれている。

今となっては24日夜、熊本の地元の人が出てきたので会食につきあって欲しいと早くから言われていた会合でゆっくり話したのが最期となってしまった。その時私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。


安倍総理が、かばえばかばうほどに(かばっていたのは、自分の権力の座なのかも知れないが)、本音で話ができなくなっていった松岡農水相。板挟みになっていることが総理には分かっていたので、「慚愧に堪えない」という言葉が出たのかも知れない、と思うのだ。
絶対にしないことだろうが、内閣は、なぜ松岡農水相が自殺したのか、この方にまつわる政治と金の問題を明らかにする責任がある。政治の浄化のために。政治と金の問題を明らかにするために。再発を防止するために。
一国の大臣が政治がらみで自殺したのだ。政治と金の疑惑解明は、死者にむち打つという次元の問題ではない。
自殺の原因を探れというのではなく、自殺した事実を重く受けとめ、政治と金にまつわる事実を究明すべきということだ。ことは、国民の税金の使い方にも関わっている。きちんとしてほしいよね。ほんと。
「美しい国」というスローガンのもとで、どうも美しくないお金と疑惑の問題が浮上しつつある。
追記。
日本の政治は、三流だと思う。国民に対する説明責任が、まったく果たされていない。新聞もテレビも、説明責任を果たさせる方向では動かず、議論をより一層複雑にしている。
物事を、俯瞰してみるような視点が失われている。物事を骨太く見て、構造的に明らかにすれば、事態の本質は見えてくる。しかし、いつも近視眼的なものの見方で、議論を複雑にしているような気がする。
何とかならないものか。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類

Posted by 東芝 弘明