議員の多様性

雑感,出来事,かつらぎ町議会

予算質疑は午後2時30分頃に終了した。その後開かれた庁舎建設調査検討特別委員会に時間がかかった。議員間協議で意見が分かれたのが長引いた原因だった。会議というのは、やっかいだが面白いと感じてきた。生き物なので扱いにも困るし、運営の仕方によって、集団の判断も変わってくる。今日の会議は、真剣な議論がなされた。まとまった結論にはならなかったが、議員間協議の意味は大きいなと感じた。議員は、それぞれの個人的な立場で議案に対していろいろな感想をもっており、その思いを出し合うと多様なグラデーションをなしていることが分かってくる。

議会は多数の議員で成り立っているので、議員間協議を行うと、ときには多様性が現れることがある。今回の会議はそういう感じになった。しかし、それは住民の代表である議会の姿を示したと思っている。熟議をすれば、多様な意見が出る。短時間の話し合いの中で1つにまとまることもあれば、まとまらないこともある。まとまらないことも重要な意味をもつ。今回の会議ではそういうことを感じた。もちろん、ほとんど行われてこなかった議員間協議の意味の深さを感じる時間でもあった。

議員は庁舎建設について、不安な思いをもっていることは共通していた。当局の側の説明に対して不安が前に出ていることの意味は大きい。議員のすっきりしない「不安」に対し、町の側は説明責任をしっかり果たすという形で応える必要がある。これが今回の会議で示された1つの方向だった。

オープンダイアローグに関わっている本は、5冊届いた。そのうちビジネス書の1つは、少し的外れ的なものだったが、それでも読んでいるとヒントになるものがあった。
対話とは何かという点が面白い。対話は雑談でも会話でも議論でもない。対話は、本人の主観的な語りと傾聴によって成り立つ。意見は、尖って出てくる場合があるけれど、その意見の幅の広い背景が浮き彫りになるような語りがあれば、意見の根底に潜んでいる考え方も見えてくる。ぼくは過去に、もう一段深く聞けば視野が開けるという意味のことを書いたりしたが、対話はさらにもっと幅の広い考え方感じ方を出してもらい、違いを確認しつつ受容していけば、新しいものが生まれてくるというものである。

言葉は、概念なので定義から成り立っている。同じ言葉を使っても定義がずれていたら、議論しても平行線のようになる。言葉の定義がどのような考え方の中で成り立っているのかを幅広く出してもらって聴いていると新しいことが分かってくる。対話をしている(人の物語を注意深く聴く)違いを確認しているのに地下水脈でつながっていく。これが対話の力だと思う。

どうやって会議の中に対話を取り込んでいくのか。この創意工夫は面白そうだ。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感,出来事,かつらぎ町議会

Posted by 東芝 弘明