9歳の誕生日に

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今日は娘の9歳の誕生日だったので、橋本からの帰りショートケーキを買って帰った。家族全員、風邪を引いていたのでケーキは今度の機会にと考えていたが、2個だけ買うことにした。
今までの9年間、楽しい思い出がいっぱいある。最近の娘は、毎日50回ぐらい笑い、10回ぐらい怒り、1回ぐらい泣き、目一杯はしゃぎ、生き生き生活している。したいことがいっぱいあって、自分でいろいろな工夫を凝らした細工をつくり、負けん気を発揮して悔しがりながらピアノを弾き、自分で習いたいと言った硬筆にも通い、友だちをしょっちゅう自宅に招いて夢中になって遊んでいる。宿題を忘れずにし、文章を書くことも大好きだ。
今までの9年間、娘は目に見えて成長し、年を重ねる度に可能性を広げてきた。
これから、今まで生きてきた9年間と同じ時間を生きれば、高校3年生になる。
しかし、これからの9年間も、本当に年を重ねるごとに可能性を広げ、楽しく生き生きと生きることができるのだろうか。
なんだか、おかしなことに、日本の子育ては、子どもが成長すればするほど悩みが深くなるようなところがある。
好奇心を旺盛に持ち、物事に真剣に取り組んでいくように育てば、人間としては、確実に成長していくはずなのに、生きる喜びは、受験Systemのなかでかなり押しつぶされてしまう。人間の成長=生きる喜びという形が10代の生育過程の中に保障されていない。
日本の教育制度の一つの側面として、受験Systemがある。人格の完成をめざすという大きな目的のために教育のシステムがあるのに、同じ教育のなかに競争主義的な一発試験主義の受験というSystemが組み込まれている。
小学校から中学校、高校とステップを上がれば上がるほど、子どもたちの夢がしぼみ、生きる希望さえ持っていない子どもまで出現させている。
成長を保障するという教育システムのなかに、成長を妨げる要因がしっかりと根を張り、全体を支配している。
もういい加減にしていただいて、人間の成長と合わせて可能性が開いていくような教育制度を作っていただきたい。
保育所・幼稚園・小学校などの時代は楽しかったのに、中学、高校と進むにつれて、難しくなるのは、かなりひどいことではないだろうか。
新しいことを知る喜びを伝えていたはずの教育が、受験競争の渦に巻き込まれていくなかで、大切な教育の魂さえも見失っているような状況すらある。
これから9年間、今までと同じように楽しさと喜びにあふれた9年間にしたい。
これはぼくの夢。
しかしこの夢は、本来、誰もが権利としてもっていいものだと思う。
このような権利が疎外されていることの怒りを組織しなければならない。


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Posted by 東芝 弘明