35人学級実現へ

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今日は、少し風邪が改善してきた感じになった。
ようやく体調が元に戻っていく感じになってきた。
さて、
2487人の請願署名を集めて議会請願していた「笠田小学校の学級の分割を求める署名」は、12月6日の総務文教常任委員会で全会一致で採択され、12月18日の本会議でも全会一致で採択された。
請願が採択されたので、かつらぎ町の教育委員会は、来年の4月に向けて、条例の制定を準備し、教職員を雇用する方向で努力することとなる。
和歌山県下では、自治体独自に少人数学級を実現した事例はない。かつらぎ町が、教職員を雇用し、学級を分割すれば、県下で初めての事例となる。
この意味は極めて大きい。
この請願は、かつらぎ町独自で35人学級を実現するために、町独自で教職員を雇用していただきたい。これによって笠田小学校の1年生の40人の学級を分割してほしいという内容のものだった。
和歌山県でも、少人数学級の動きは生まれている。和歌山県は、中学校では無条件で35人学級を実施し、小学校では、単学級の場合は40人学級、2学級の場合は38人学級、3学級の場合は35人学級、単学級でも6年生だけは38人学級というものを実施している。
県によれば、小学校における変則的な少人数学級は、和歌山県が県単独の教職員を雇用しないでも措置できるギリギリの線だという説明だった。
これ以上の少人数学級を実現するためには、自治体が独自に教職員の雇用に踏み切り、自治体の施策として少人数学級編制を採用しなければならないということだ。
このようななかで国は、平成18年度から、自治体が自主的に教職員を雇用できるよう制度の整備をはかった。教育特区を活用しなければできなかった自治体独自の教職員の雇用が、この方針転換によって自由にできるようになった。
笠田小学校の請願は、ここに着目して運動をおこない実現を求めたものだった。
幸いなことに、かつらぎ町における35人学級の実現は、教職員1人の雇用でその目的を達成できる。また、35人学級は、将来的にも1人ないし2人の雇用で維持できることも明らかになっている。
かつらぎ町の場合は、35人学級のために必要な教員配置は、断続的で個別的な課題となるので、常勤講師の採用による学級の分割が最も現実的な対応になると思われる。
ぼくが、このことを明らかにして質問をしたのは、6月議会だった。
校長先生と教頭先生、PTAの本部役員の方々が、この問題に取り組んでくれたので、わずか6か月でこの方向を切りひらくことができた。
PTAの役員の方々は、10月はじめに教育長に懇談を申し入れ、学級分割の要望書を提出した。この懇談会の結果を受けて、11月5日にPTAの会議が開かれ、署名がスタートした。わずか2週間程度しかなかった署名運動だったが、短期間に2500近い署名が集められ、議会請願を出すことができた。この運動を通じて発揮された保護者の方々のエネルギーは大きかった。
同時に、PTAの本部役員は、県議会にも請願署名を提出し、この請願には、門三佐博県議と平越孝哉県議にお力を借りることとなった(県議会の方は継続審議に)。
笠田小学校の取り組みは、和歌山県下にも小さくない波紋を投げかけている。地域の運動を通じて、少しずつでも改善を求めて行き、その変化が全体を大きく揺さぶるということはたくさんある。今回の運動は、この一つの典型的な事例になる可能性がある。
さて、ここからは、ぼくの勝手な夢だ。しかし、ぼくは、実現への転換が図られれば、かつらぎ町の新しい大きな魅力になることはまちがいないと思っている。
ぼくには、少人数学級を実現することによって、町の教育委員会を中心として実現してほしい夢がある。それは、少人数学級にふさわしい学びあいの教育研究と実践の探求と実現だ。
少人数学級が実現したからといって、それだけでより良い教育が実現できるものではない。少人数の学級編制にしかできない教育実践、教育内容がある。このことを実践的に積み重ねてきているのは、愛知県犬山市だ。秋には、この犬山市に視察に行ってきた。
本町は、いま統廃合というとんでもない課題に直面している。この統廃合は、財政論的に実施しなければならないものだが、この統廃合によって、教育が失ってしまう条件も大きい。
しかし、旧かつらぎ町を4つの学校に再編成すると、それぞれの学校で少人数学級を維持できる条件が生まれる。統廃合は避けられないが、少人数学級を実現し、より良い教育への新しい努力をおこなう、本町はこういう方向に進むべきだと思っている。
これは、結局、犬山市がおこなっているような教育実践をかつらぎ町でもおこなおうというものだ。どうすればより良い教育、豊かな学力保障の教育、人間を大切にする豊かな学びの教育を実現できるのか、統廃合という極めて悲しい問題に取り組まなければならないだけに、教育の原点をみすえた教育実践を実現することが問われている。
そのためには、教育委員会自身が大きく変わる必要がある。
学びあいの教育実践とは何か、このことを探求するためには、人格の完成をめざす教育とは何かを深く考え、教育現場のよきアドバイザーとなる英知が必要になる。
そのためには、和歌山大学の教授の力がどうしても必要だと考える。
犬山市の場合は、教育委員に大学教授が1人入り、指導主事の位置にも大学教授がいる。こういう方々の力をかりて、深い議論をおこない教育現場に力になれるような体制の確立が必要になってくる。
しかし、一度にこんな改革はできない。
では何からはじめるべきか。
期待したいのは、現場からの努力だ。少人数を実現できた学校から豊かな学びあいの教育実践が生まれることを期待したいということだ。
犬山市の教育改革を実現したのは、現場の教師と学校だった。教育というのは、教壇に立った教師と生徒の間に存在している。ここで自主的な努力、集団的な努力が実っていかないかぎり、教育改革はおこりえない。
教育委員会改革が必要なのは、あくまでもサポート体制の強化ということだろう。
教育委員会が、旗を振って現場を振り回すのは教育改革ではない。教育委員会はそんなことをすべきところではない。
犬山市は、教育改革の考え方の基本を教育委員会のなかに確立し、現場への問題提起をおこなってきたが、実際の教育改革を主体的に切りひらいてきたのは、学校現場だった。このやり方から、本町も多くのことを学ぶべきだと思う。
「こんなのは夢物語だ。できるとは思わない」といわれたこともある。
しかし、犬山市でできた改革が、かつらぎ町で実現できないということではない。犬山市の改革は、本来教育が戦後日本のどこでも実現させなければならなかったものだと思う。
少人数学級にふさわしい、豊かな学びあいの教育を。ここに諸矛盾を突破するカギがある。ぼくはそう思う。
「学ぶことは夢がふくらむことなんだよ」
「学んだら世界が広がるんだよ」
「学校は人間を豊かに育てるところなんだよ。理性と知性を学ぶ場所なんだよ」
「教えるとは、ともに未来を語ること 学ぶとは、真実(まこと)を胸に刻むこと」(ルイ・アラゴン)
この言葉が胸に浮かんできた。


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Posted by 東芝 弘明