「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」
「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」
この言葉が意識の底にたえずあった。
母が入院し、抱えていた病気がガンだったのを知ったのは、高校2年の12月のことだった。
母の病気が回復不可能だということを教えてくれたのは、兄貴の友人のO君だった。
その頃から、夜爪を切ると、「死に目に会えない」という言葉がいつも浮かんでくるようになった。
かくて、
ぼくは、母の臨終の席に立ち会い、最後まで母が苦しんだことを見つめていた。
それからどれだけ時間がたっても、夜爪を切ると「親の死に目に会えない」という言葉が浮かばないことはなかった。
娘が小さい頃は、爪を切ってあげたことも多かった。自分の爪を切るときには、「死に目」の言葉が浮かんできたが、娘の爪を切ってあげているときには、不思議とこの言葉は浮かんでこなかった。
思いは、なんだか胸の内に深く染みこんでいる。
17歳のときの記憶は鮮明だが、そのことへの悲しみははるか彼方に去って具体的な形は消えてしまった。
「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」
悲しい記憶が消えて残ったのがこの言葉だったのかも知れない。
夜、爪を切る。
そのたびにこの言葉と向き合う自分を確認する。
これからも、ずっと。
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