荒瀬先生の講演から得たもの Ⅱ

教育

インターネット上には、『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演したときの荒瀬克己先生の番組が紹介されている。

教育界注目の公立高校校長 荒瀬克己(54)

07年当時のこの番組をネットで読むと京都梶川高校の742人の全校生徒の中で、公立大学への現役合格者が100人を超え、そのうち京大合格者が30人を超えたとあった。
世間が注目したのは、この驚異的な合格者数にあったが、梶川高校は、この大学合格者に必ずしも重きをおいていないという紹介がされている。
いったい何が、梶川高校の教育を変えたのかは、紹介しているPDFファイルを読んでいただきたい。

講演では、高校生が身につけるべき思考力について、3点を上げた。
1 批判的思考力
2 メタ認知能力
3 構造化

批判的思考力とは、情報を観察し、分析し、論証し、最終的には自分の意見を提示する一連の思考技術だという。問題点を指摘するだけではなくて、観察、分析、論証した上で自分なりのオリジナルな意見の提示に至るものが批判力だということになる。
メタ認知能力とは、鳥瞰的にものを見る能力、言い替えれば物事を俯瞰的にみる能力のことだ。この見方は、自分の思考や行動を客観的な対象として把握するものである。
構造化というものは、物事を構造的に立体的に把握するということだろう。

この3つの思考力は、弁証法的なものの見方考え方と深くつながっている。
弁証法的な見方は、
1 物事を連関と連鎖の中でとらえる
2 物事を生成・発展・消滅の過程の中でとらえる
3 固定した境界線はないことを大胆に認める
ということが基本だ。
ぼくは、この基本的な見方とともに、マルクスが資本論のフランス語版序文で書いた弁証法とはというものの見方を重視している。

ぼくの記憶にしたがって、マルクスの言葉を書いてみよう。
「現存するものの肯定的理解のうちに、同時にその否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の中で、したがってまた経過的側面からとらえ、なにものによっても威圧されることなく、批判的であり革命的である」
肯定的な理解をしながら同時にその物事の否定及び必然的没落の理解を含めて把握するというものの見方について、ぼくは18歳の時に「肯定的否定」という言葉を作って理解した。批判的な思考力は、物事を肯定的にとらえながら同時に批判的にとらえるというところから始まる。

ただし、「批判的思考力」「メタ認知能力」「構造化」というものの見方には、重要な観点が欠落している。
この3つのものの見方に付け加えるべきなのは、生成・発展・消滅の過程の中でとらえるというものの見方と、固定した境界線はないということだろう。
物事を連関と連鎖の中でとらえるというものの見方は、メタ認知能力と構造化というものの見方と関連する。
弁証法にとって、歴史的に生成してきた経過を深く把握することは、ものすごく大切なことだ。あらゆる事物には、それが生成し発展してきた歴史がある。物事が発展してきた歴史を深くとらえることは、物事を止まったものとして分析するという傾向を打ち破り、運動の中で物事をとらえ直す契機になる。連関と連鎖の中で物事は存在する。しかも物事は、たえずこの連関と連鎖の中で影響し合いながら運動している。運動のない事物というものは存在しない。連関と連鎖、生成と発展という視点で物事をとらえるということは、事物そのものの存在をありのままに、かつ深く把握することに他ならない。

固定した境界線がないというものの見方は、あらゆるものは、変化し発展し消滅する過程の中にあり、同時に複雑に変化する中でAがBにもしくはBがAに、もしくは、AがCに転化するということが数多く存在する。固定した境界線がないというのは、全てに当てはまるのではなくて、具体的な事実の中から固定した境界線がないことを発見することが大事になる。相互依存と相互転化は、私たちが思っている以上に豊かに存在する。

話を弁証法から戻そう。
荒瀬先生は、この3つのものの見方を高校生に培うために、子どもが自主的に持つ問題意識を大切にして、物事を深く探究する研究活動を学校の授業のカリキュラムの中に組み込んで、積極的に実践した。これは、知的好奇心を積極的に育てる教育実践になった。

この教育実践を読むと、高校生の時代からでも生徒の学びを組織して活性化させることは大いに可能だという確信が湧いてくる。
齋藤孝さんは、これと同じような授業の研究を大学生相手に行っている。不幸にして小・中・高で本当の学ぶ意味をつかめなかった人間でも、学ぶとは何かを見すえて授業の改善を行えば、人間の認識はものすごく活性化することを示している。
これが、小学校・中学校・高校を通じて行われたら、日本の教育は大きく再生するだろうと思われる。

荒瀬先生は、批判的思考力、メタ認知能力、構造化というものの見方は、誰でも身につけることのできる思考の技術だと説明した。その証明が、梶川高校の実践の中にあるということだろう。

科学的なものの見方を身につけさせる教育実践が、子どもたちを大いに活性化させる。この方向に教育内容を転換させることが21世紀の大きな課題になる。
荒瀬先生の講演は、この課題を実践して成果を上げてきたという事実によって支えられていた。
こういう話は、実に面白い。


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Posted by 東芝 弘明