Y先生が亡くなった。

未分類

Y先生が亡くなった。病院に入院していたので7月に入ったらお見舞いに行こうとしていた。
「会いに行ったときは元気でしたよ」
先週、年配の方からこんな話を聞いたところだった。
1時前に役場の信号を左折し国道を笠田方面に向かって車を走らせると、すぐ、告別式の看板が目に入った。
「間に合わなかった」
こんな言葉が頭の中に広がり、悲しみが底から見る見るうちにあふれ出てきた。
闘病生活に入ったのが一昨年の11月、1年半の闘いの末の死だった。
携帯には、Y先生の死を知らせる着信が残っていた。
お通夜に行くと会場は、参列した方々で溢れていた。久しぶりに会う人々がたくさんいた。人が多いのに雑談がそんなに耳に入ってこない。学生服を着た生徒の姿も多く見られた。悲しみが、人々をつないでいるように見えた。
焼香の後、しばらく残って、久しぶりにあった人と話をし、やがて、お顔を見る列ができはじめたので、その列の最後尾に並んだ。目の前には同級生が立っていた。
穏やかな死に顔に見えた。手を合わせると、前にいた女の人たちは、肩をふるわせ泣いていた。
闘う人だった。
だから、病気とも真正面から向き合って、多くのことを学びながら、引かなかった。
「絶対に克服してみせる」
痩せてはいたが、向き合うぼくにそう宣言したことがある。
会って話を聞かせてもらいたかった。ずっとそういう思いを引きずりながら、その機会を先延ばしにしてしまった。
今日から夏本番というような気候になった。季節が大きく変わった日が、お通夜と重なった。
もう何人、このセレモニーホールから親しかった人を見送っただろうか。
心に悲しく深く食い込んでくる葬儀が増えてきた。死が皮膚一枚のところまでにじり寄ってくる。
やがて人間は死ぬ。これを痛感させられたお通夜だった。
生きたいという気迫を体にみなぎらせ、それを貫いた先生。この生き方には、正座し襟を正して向き合いたい。
帰り道、町はすっかり夜になっていた。車のテールランプが赤い尾を引いて走っていく。いつもと変わらぬはずの町並みは、深く、暗く沈んでいた。若い頃感傷的に歌っていた歌が、胸の中に広がった。
明日もう一度、告別式に参列する。永別のとき。その瞬間、告別式会場に立っていたい。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類

Posted by 東芝 弘明