告別式にて

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Y先生の告別式で弔辞を読んだのは、先生が担任をしていた子どもたちだった。4年生のときに担任をしていた子ども達は、6年生になっており、弔辞は女の子2人が同級生を代表しておこなった。
先生は、温かいまなざしを子ども達に注ぎ、子ども達は先生を心底慕っていた。この感じが弔辞の中に溢れていた。
小学校の卒業生の花が左側の壁にずらりと並んでいた。20歳になる卒業生一同からの花もあった。先生にとって、教えた子どもに慕われるのが、一番うれしいことだろうと思う。Y先生は、子ども達の記憶にしっかりと残る先生だったのだなあと思う。焼香をして戻ってくる、卒業生だと一目見て分かる男の子や女の子は、泣いたり、目に涙をためていた。
「Y先生。あなたは、子ども達にこんなにも慕われていました。あなたの生き方は、子ども達を見ていると分かるような気がします」──祭壇にはやさしそうな写真が飾られていた。その優しそうな笑顔は、子ども達との関係の中で作られたものだった、そんな思いが胸の中に広がった。
午前中、会議があった。この会議の始まる前、M先生は、鞄の中から年季の入った茶色い文庫本の「資本論」を取り出してこう言った。
「ずいぶん以前にY先生から『資本論』の学習をしようと持ちかけられていました。この約束は果たせませんでした」
読書家だったY先生。
読書をし始めると集中的に本を読んだY先生。
勝負師だったY先生。
太くおおらかに物事をとらえたY先生。
棺に花をたむけてからは、言葉を口にすることができなかった。指先が震えるような感覚に襲われた。久しぶりに会う人に頭を下げるのが精一杯だった。
棺が車に納められ、車が走り出すその瞬間、クラクションが長く響いた。良く澄んだその音は、胸に真っ直ぐに染みこんできた。悲しみが参列者の肩に覆い被さり、沈黙があたりを支配していた。
7月の暑さを不思議と感じなかった。


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Posted by 東芝 弘明