仏壇の掃除

出来事

今日は仏壇を丹念に掃除した。仏壇には細かい細工がしてあるので、誇りを拭き取るのにも細かい神経が必要だった。弘法大師の置物、大日如来、不動明王が一番奥にあって、その手前に位牌が並べられている。
扉は、2重扉で折り畳めるようになっている。
拭き掃除をして、さらにから拭きをしていると汗が噴き出してきた。

この仏壇は、ぼくが買った物ではない。兄貴が買って管理していたのにいつのまにかぼくの家にやって来て、管理することになった。
だから、仏壇というものが一体いくらするのかはよく分からない。
大きさや細工の仕方によって値段は随分違うのだろうと思う。

一年に一度、徹底的にホコリを取るために綺麗にするのもいい。8月は、亡くなった人々の魂が、自分たちのもとに戻って来る月になっている。お墓掃除に行き、仏壇にお盆用のお供えをしてという行為は、亡くなった人への思いを呼び起こすための、重要な作法になっている。

ぼくは、いつのまにか、父と母が生きた人生を超えて生きている。父の年齢と母の年齢を超えるときに、強く思ったのは、何て短い人生だったんだろうか、ということだった。
同級生を見ていると、親が亡くなる時期にさしかかっている人が多い。50歳を超えるようになってから親を見送るというのは、自分の人生の先を暗示しているかのような気持ちになるかも知れない。

若い頃に親を亡くしたぼくのような人間と、家庭をもち家族を持って以降に親を亡くす人とでは、随分な違いがある。それは、人生に与える影響という点でまずは違うだろう。ぼくは、6歳で父が亡くなり、17歳で母が亡くなったので、無くなってしばらくしてからは、自分で自分の生活の全てをまかなう様になった。自立への意識もほとんどなく。
人は、胸の中に何らかの形で親に対する思いを抱いて生きていくものだと思う。自分の人生と親の人生が重なるように生きてきた人もあるし、親とは違う職業について、全く違った人生を歩んだ人もあるだろう。
ぼくの場合は、親とは違う人生になった。大人になってからの対話ができなかったので、ぼくが選択した道についても意見を聞くことはできなかった。

位牌もから拭きした。位牌の裏には俗名と享年が書かれている。父47歳、母52歳とある。数えで年齢を数えるので、父は46歳、母は51歳だったことになる。
今年になってから、従兄の家にあった母の写真がわが家にやって来た。母の面影は、わが家の一人娘にも受け継がれている。全く会ったことのない娘にとっては、ぼくの母のことを想像してといっても全く不可能に近い。
そういうことを考えると、人間というのは、生きて触れあったことのある人の中にしか存在しないもの、はかないものだと思う。

以下はここまで書いてきたことから派生したもの。
真言宗の教えなどほとんど考えたことはない。宗教的な儀式というものを数多くしてきたけれど、形を受け継いで儀式をかたくなに実行していると、内容が伴わないだけに、残るのは、亡くなった人への思いと供養だけになる。日本に仏教が入ってきて、神道よりも仏教の方が霊をお祭りする中心に座ってきたが、結局は、仏教の教えそのものも、ものすごく形骸化している。
先祖供養という考え方は、神道から来ているという話は、高野山のお坊さんが書いていた。深い仏教哲学が、神道よりも大事にされて、日本は仏教を受け入れたのだが、高野山真言宗のお膝元の民衆の中にあるのは、先祖供養が中心というのは、何だか面白い。
弘法大師が、積極的に神仏習合を受け入れて真言密教を作り上げたのは、郷に入っては郷に従えということだったのかも知れない。その中で最も強く残ったのは、位牌を作って先祖を大事に供養するという神道の伝統だったということだから、弘法大師の教えが大きく広まったのか、それとも神道の教えが最も大きな力を持ったのか。
判然としないところが、妙に面白い。


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出来事

Posted by 東芝 弘明