「教育格差の真実〜どこへ行くニッポン社会〜」は面白い

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「教育格差の真実〜どこへ行くニッポン社会〜」──この本は、尾木直樹さんと森永卓郎の対談集だった。非常に面白い本。この本を読むと日本の教育改革は、教育的な視点から実施されたものではなく、経済理論である新自由主義の考え方にもとづいて、教育の外から、非教育的な理論によって持ち込まれたものだというのがよく分かる。
教育論ではない「教育改革」──この姿が鮮明になってくると今の流れに深い怒りが湧いてくる。
「国連子どもの権利委員会」は、日本国が批准した「子どもの権利条約」の実施状況審査をおこない、2004年1月に「最終所見」を発表した。この時の「最終所見」は、1998年に次いで2度目の報告にあたる。
「教育制度の過度に競争的な性格が、子どもに否定的な影響を及ぼしている」──今回の審査報告でも前回と同じような指摘がなされた。これは、日本の教育が改善されていないという国連の認識を端的に示すものだった。
「子どもの肉体的および精神的な健康に否定的な影響を及ぼし、子どもの最大限可能なまでに発達することを妨げている」──報告にはこんな指摘もあった。
海外から日本の教育を真っ直ぐに見ると、耐え難い歪みをもっているものに映るということだろう。
「子どもの権利条約」を批准しながら、「権利条約」を真正面から否定し、「否定していない」と強弁している国、それが日本だろう。
教育の抱えている矛盾は、すでに耐えられない状態にあり、根底から改めることが問われている。
教育に興味と関心のある方々に、ぜひこの本を読んでいただきたいと思う。とくに教育に関わっている人々が、経済学的な視点から教育を見るということは少ないので、読めば、目から鱗が落ちることもあるだろうと思う。
新自由主義にもとづく「教育改革」が、いかに子どもの心身を蝕み、子どもの成長を妨げているのかを再認識することによって、非教育的な「教育改革」への怒りを新たにすることの意味は大きい、とぼくは思う。
教育的な観点から改革がおこなわれているのであれば、まだ異論や激論が交わされてもいいだろう。しかし、教育論的には弊害しか生み出さない「改革」がおこなわれている。こんな歪んだ「改革」は、できるだけ早く転換すべきだろう。
転換が遅れれば遅れれば遅れるほど、子ども達の成長が歪められ妨げられる。
市区町村では、全国でただ一つ、犬山市だけが学力テストへの参加を拒否している。しかし、子どもの成長を心底考えるのであれば、犬山市のような例が他の地域で生まれるべきではないか。日本全国で犬山市だけが不参加という現実は恐ろしい。
なぜ日本国中の地方教育委員会は、こうも自主的でないのだろうか。
自分たちの自主的な態度を確立できないで、どうして子どもの権利を守ることができるだろうか。
自分たちの子どものために、
未来の子どもたちのために、
日本の未来のために、
地域の未来のために、
教育を子どもと教師に取り戻す努力をしたい。
1人の力は小さい。
教育制度は大きい。
大きさを対比するなら象に蟻が立ち向かうようでもある。
しかし、子どもたちのために、変えなければならない現実があるならば、変えるために力を尽くしたい。
かつらぎ町では、まず町独自の少人数学級を実現しよう。
意味のない2学期制を3学期制に戻そう。
子どもたちのために、豊かな教育を取り戻そう。
教育格差の真実~どこへ行くニッポン社会~ (小学館101新書) (小学館101新書 5)/尾木 直樹

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Posted by 東芝 弘明