地域の活性化のために

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かつらぎ民報を作成し始めた。
急いで作り発行したい。
さて。
和歌山県の景気は回復していない。悪化している傾向も強い。
かつらぎ町の地域は、人口流出が激しく過疎化と少子化が同時に進行している。
学校の統廃合が課題になり、1月19日、26日、2月4日には学校の適正配置・整備計画についての公聴会が開催される。
地域から小学校の火が消えるとその集落は、限界集落への道に突き進むのではないか。
このことを今から視野に入れ、対策を講じていくべきではないだろうか。
かつらぎ町も近隣の市町村も、かなり深刻な事態に直面している。どのようにして産業を興し、活性化していくのか、集団でさまざまな角度から検討し知恵を絞らないと、10数年後、限界集落にあえぐ地域になる可能性すらあるのではなかろうか。
しかし、かつらぎ町民と行政が共通認識に立って、話しあいを重ね努力する方向を共通認識として確認すれば、かなりのことを起こせるのではないだろうか。
教育談義をおこなっていると上記のような話しにつながっていった。
今は競争教育が学力を伸ばすと信じ込まれている。
競争が本当に学力をのばすのだろうか。
たとえば、
切磋琢磨という言葉がある。この熟語には「互いに励まし合って,自己をみがくこと」という意味がある。現在の競争は切磋琢磨になっているだろうか。
現在の競争は、お互いに学びあうという側面よりもむしろ、ひたすら自分の殻に閉じこもって、自己の成績を伸ばすという傾向にあるのではなかろうか。クラス単位には分かれているが、学年が上に進むにつれて、勉強と成績及び学力は、極めて個人的な問題に置きかわっていくのではなかろうか。
人間と人間が力を合わし、能力を補い合えば大きなことができる。依存しあうようなもたれ合いではなく、自立しながら協力し合う関係を教育の中で培っていけば、切磋琢磨するような状況がうまれるのではなかろうか。
本来学校という場所は、切磋琢磨するところだと思う。
人間として他人を信じること、お互いに協力し支え合うこと、協力し支え合うことによって人間は大きな力を発揮すること、ここに人間の本質があること。
人間の幸福も人間と人間との交流の中にあること、地域に信頼できる人があり、協力があって支え会いがある。
そういう地域を形成するために教育も存在する。こういう認識が地域に存在し、学校に存在し、自治体に存在すれば、かなりのことができるのではなかろうか。
エリートを養成するのもいい。学問に打ち込みたい人は都会の大学に行ってもいい。しかし、大学卒業後は、ドクターコトー診療所のように島(地域)に帰り地域のために力を尽くす。エリートの生き方として、こういう人生の選択が大いに奨励されていい。
大学を出た子どもたちが地域に帰ってきて、さまざまな専門的な知恵や広い視野をもって地域をみなおす。自分が身につけたキャリアを地域に生かす。
学校の先生にも昔のような余裕を取り戻させて、地域に入り自分の学んだ知識、経験を地域の中にも返してもらうようなことが実現すれば、面白いことができるかも知れない。
今日はこんなことを考えた。
こういうことをめざす努力そのものが、新自由主義との闘いになる。それは政府が描いている展望なき21世紀の未来像への地域からの反乱となる。むしろ旗を掲げて一揆をおこなうのではない。この反乱は、地道に、静かに、ゆるやかに、穏やかにおこなわれるものになる。そう思う。


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Posted by 東芝 弘明