第14回高齢者大会に参加した

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かつらぎ総合文化会館のAVホールで第14回高齢者大会が開催され、出席させていただいた。
1部は税金問題の学習会、2部は橋本市の「まっち箱」─高齢者の居場所づくりについての報告、各地域の文化活動のお披露目があった。
「まっち箱」は橋本市の城山台で活動をはじめて丸2年。高齢者が第2に人生を楽しもうということで、憩える場を作ったところから始まったふれあいサロンとよばれるものだ。
この「まっち箱」はiさん夫婦が私費でログハウス風の家を建てたところから始まった。週2回の開設で1日24人ぐらいが参加している取り組みだ。社会福祉協議会から月に5万円補助が出ている。
本日は、アコーディオンの演奏に合わせ、自作の歌も織り交ぜて活動の紹介がおこなわれた。
実に生き生きとした活動紹介だった。
ハーモニカ演奏あり、ファッションショーあり、フラダンスありの多彩な催しを見せていただいて、ぼくたちの世代が、同じように高齢化したとき、現在の60代、70代の方々のように、こんな風にみんなで集まって楽しい交流をしているだろうか、と思ってしまった。
壇上に立ち現れた方々は、60年代を青年として過ごしてこられた方々だ。この年代の方々は、若い時代、実によく集まって歌を歌いダンスを踊り、山にのぼり青春を謳歌していた。背景には、厳しい労働があった。猛烈社員というような言葉が生まれた時代は、日本の高度経済成長の時代だった。
戦後日本の最もエネルギッシュだった時代の若者は、みんなで力を合わせてさまざまな文化活動を展開していた。1980年代の若者だったぼくたちは、明らかに今日壇上に立っていた人たちとは違う青春を過ごしていた。音楽は、80年代にはいるとカラオケBOXとともにあった。集まらなくてもそこそこ楽しい遊びの施設が生まれ、若者が集まってみんなで何かを楽しむというようなことが少なくなっていた。
現代はより一層、この傾向が強まっている。
個人主義は、日本の場合、個別主義と自分勝手が結びついて、自己虫がはびこるようになった。
反社会的な行為を注意しても、「あんたに何の権限があるんや、関係ないやないか」なんてことにもなる。個人主義は、自己の自立と結びついて、自己を確立し、その上で新しい人間関係を結び直すというものだろう。しかし、日本であらわになっている個人主義は、自己の自立には結びついていない。集団で同じようなことをするという集団主義の流れの中にありながら、そのことをあまり自覚せず、自分勝手に振る舞うというような感じがある。
自分勝手と自立のなさが同居している。
高齢者大会は、高齢者の方々が元気に社会的な活動のしていることをあらためて認識させてくれた。同時に自分たち以降の世代の不確かさを考えさせられた。


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Posted by 東芝 弘明