埠頭を渡る風

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「ゆるいカーブであなたへ倒れてみたら、何も聞かずに横顔で笑って」
このフレーズが好きで、車がカーブするたびにこの曲を思い出していたときがあった。
関西に住んでいるので、この曲から浮かんでくるのは阪神高速湾岸道路だ。
神戸に入っていくいくつものカーブと港の見える景色がこの歌に重なっていく。
さて、今日は山道のカーブをのぼりながら新城に行ってきた。宣伝カーの後ろだったし、運転していたのは男性のSさんだったので、ゆるいカーブで倒れてくる女性もなく、横顔で笑うこともなかった。
小さく聞こえる赤旗の宣伝カーのこもったような音。
新城に着くと冷蔵庫のように冷たく、話をすると朝から雪が降ったと言っていた。ぼくの生まれた田舎の風景は、子どもの頃とそんなに変わらない。しかし、流れている貴志川の水量は、子ども時代の半分以下になっている。豊かな水をほこっていた川は、小川のようになり、ぼくたちが泳いでいた頃とはずいぶん様子が違う。
今から10数年前、花園に行ったときに、当時の助役が、「植林によって川の水の量は半分になってしまった」と語ったことがあった。山のことをよく知っているはずの、戦前から生きてきた人々は、戦後なぜか大量の植林をおこない、自分たちの手で自然を大きく壊してしまった。植林によって川の水が少なくなり、水質も悪くなることを考えられなかったと言うことだろうか。
対話をしていると、年を取ってきたので裏の山の木が大きくなっても、枝打ちもできないので日が当たらなくなったという話が出された。田舎を離れて、変わらないなと思っていた新城の風景は、住んでいる人にとっては、確実に、大きく変化しているということだった。
生活しているものとしていない者との差がここにある。
対話に共通していたのは、自民党政治に対する怒りだった。
「自民党は崩壊しつつある。自民党の政治はどこでいきづまっているのか。それは極端な大企業中心主義とアメリカいいなりの政治にある」こういう話に対話が弾んだ。
国民の怒りは、政治の中心に向かっている。アメリカの一国支配が崩れようとしている中で、自民党政治も終わりの始まりのような様相になってきた。雇用の確保、社会保障の再生、地域経済の立て直し。この3つのことをおこなわないと、国民のくらしの再生はない。
この3つは、新自由主義という経済理論にもとづく「構造改革」が破壊してきた3つの分野だ。
政治の大転換が求められている。
帰りもさまざまなカーブにそって車を走らせながら戻ってきた。
シンガーソングライターの方々の曲は、初期の頃がいい。曲を書き始めた頃は、生活の中から歌が作られ、そこには、等身大の人間のくらしや感情がこもっている。「埠頭を渡る風」も若い頃のユーミンの女の子らしい気持ちが表れている。
中島みゆきの曲も初期の頃の曲がいい。この人の曲には、生活が歌われドラマがあった。
最近の曲もヒットしているが、「銀の龍の背に乗って」や「地上の星」は、話が大空や宇宙にまで飛んでいってしまって、くらしの匂いがない。「店の名はライフ」や「時代」とは対極にある。
自分のくらしのなかから生まれてきた曲が好きだ。しかも情景が目に浮かぶ曲に心惹かれる。
歌を聞くと、その曲を知った頃の出来事が浮かび上がってくる。思い出は、懐かしさに包まれている。


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Posted by 東芝 弘明